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被災地と復興庁

[Part5]この道に「次」はあるか







私は震災の10日ほど後、宮城県女川町に入って取材した。印象に残ったのは、押し倒されたビルやぺちゃんこの自動車といった破壊の傷痕よりむしろ、軍手をして自宅や路上のがれきを黙々と片付ける人たちの姿だった。


今年1月4日、女川を再び訪れた。駅前は整備され、海を望む通りを人が行き交う。「フラワーショップ花友(はなゆう)」では、店主の鈴木千秋(57)が忙しそうにピンクのバラと薄紫のスイートピーでアレンジメントをつくっていた。向かいの飲食店の開店祝いだという。


震災から4カ月後、5坪ほどの仮設店舗で営業を再開した。「瓦礫に埋まり色彩を失った街に彩りを取り戻す」と誓った。娘は大学を退学して手伝ってくれた。昨年末に街開きした商店街に20坪の店を構え、同時に住まいも仮設から復興公営住宅に引っ越した。「いろいろな人たちに支えられて、やっとここまで来ました」


女川では、中心市街地のかさ上げ工事が進んでいる。企業への補助も含め、街の復興には計2500億円が投じられる。「国民から2000円ずついただいた。その価値があったと思ってもらえる街づくりをする」と町長の須田善明は話した。震災前の約1万から6300まで人口が減り、「時間との戦いだ」と言う。





「500年後にまた多くの人が死なないように」


巨額の費用と時間をかけて街を造り直す。復興の枠組みが固まったのは、行方不明者の捜索が続いていた頃だ。与野党や多くのメディアにも、大きな異論はなかった。ただ、震災から5年が経とうとする被災地を歩いて、疑問がぬぐえなかった。「この道」しかなかったのか、と。


意外だったのは、防潮堤の増強や高台移転を訴えてきた宮城県知事、村井嘉浩の答えだった。街を丸ごと造りかえなくても、元の土地での再建を認めれば、人が今ほど流出せず、圧倒的に早く、安く復興ができただろう。そう、あっさり認めた。それでも「500年後にまた多くの人が死なないように」と今回の道を選んだという。


ただ、日本で想定されている「次の大災害」は東北だけではない。例えば南海トラフ巨大地震。最悪で死者は約32万人、経済損失も220兆円に達すると国は推計する。東日本大震災の10倍以上だ。関東から九州に及ぶと想定される広大な範囲の復興を、今回のような方法でやり通すのは難しい、と多くの関係者が口をそろえる。


村井はこう言った。「また場当たり的にやったら、おそらく前にならえになる。それでいいのかどうか、被災者の声をもう一回聴いて、今回の復興をよく検証しておいたほうがいい」


(江渕崇)

(文中敬称略)

本編2へ続く)







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