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着物に明日はあるか?

[Part2]近代化のなかの民族衣装/杉本星子









photo Ebuchi Takashi

着物やバティック、私が研究するインドのサリーなど、「民族衣装」とみなされる衣服は洋の東西を問わず、近代化の過程でデザインや着方、そして社会での意味合いが再構築されてきた。


植民地支配からの独立と国家建設にともなうナショナリズムの高揚にさらされたバティックの例は、「近代の衣装」としての民族衣装の成り立ちをより分かりやすく示している。南インドのヒンドゥー教徒が昔から着ていたサリーが、全土で着られるような「インドの民族衣装」になったのも、この100年ほどのことだ。


衣服は、言語と並んで、国民のアイデンティティーを形作るのに極めて大きな役割を果たしている。「これが私たちの衣装だ」との意識が広がれば、それを着ることで社会階層や出身地、文化などの違いを超えた共同体としての国家のイメージを共有しやすくなる。


また、近代化の初期の段階では、多くの国で繊維産業が重要視された点も見逃せない。インド独立運動の指導者ガンジーは、英国製の機械織りの布を捨て、インド産の手織りの布を身につけるよう訴えた。これは人々の「民族意識」を高める効果だけでなく、インドの繊維産業を守り、人々に仕事を与えることも大きな狙いだった。


いまは市場のグローバル化が進み、インドネシアやインドでは、世界に目を向けたデザイナーが次々に登場し、伝統を踏まえつつも、モダンなセンスのバティックやサリーをつくりだしている。それぞれの政府も、ファッション産業のグローバル化を後押ししている。韓国や中国にも、似た動きがある。


日本の着物は近代につくられた「伝統」の規範に縛られ、結婚式や成人式で着る高価な衣装というイメージが定着し、人々の日常生活から離れてしまった感がある。サリーやバティックのドレスなどの新たな展開から学べることも、あるのではないか。



すぎもと・せいこ

1954年生まれ。専門は社会人類学。インド洋一帯の布と社会の関係を研究している。


(次ページへ続く)



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