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着物に明日はあるか?

[Part1]国民統合の象徴からファッションへ







それぞれの国や地域で「伝統的」とみなされる民族衣装は、着物を含めて衰退しつつあるが、息を吹き返している例もある。インドネシアのろうけつ染め「バティック」は、その代表だ。腰に巻いたり、シャツにしたり。日本では「ジャワ更紗(さらさ)」として知られる。


テニスコートほどの広さの工房は、灯油と溶けたロウのにおいで満ちていた。ジャワ島中部の古都、ソロの郊外に、バティック最大手「ダナル・ハディ」の工場がある。


染めたくない部分にロウを置いて柄を描き、染料に布を通してからロウを落とす。この作業を色の数だけ繰り返す。約50人の女性が小さな円陣をいくつも組んで座り、溶かしたロウで草木や刀などの模様を手描きしている。隣の工房では100人近い半裸の男たちが、ロウのついたスタンプを布に押し当てていた。


この工場は昨秋、市中心部から郊外に移った際、職人を150人から300人に増やした。「バティックはインドネシアの誇り。まだまだ発展する」。半世紀前に創業した社長のサントソ・ドゥラ(72)は意気盛んだ。


もともとジャワの王宮で育まれたバティックは、ヒンドゥー教の影響が色濃い。ソロにあるマンクヌガラン王宮に伝わる作り方を見た。王族の女性が手作業で描き、1枚に半年かけることもある。王家に連なるニニック・パルタニングラット(58)は言う。「霊鳥ガルーダに刀、花。どのモチーフにも固有の哲学があり、1枚の布に、ジャワの世界観が詰まっている」




300民族まとめる「国民文化」


ただ、東西に5000キロを超える広大なインドネシアで、ジャワはほんの一部に過ぎない。そこで発展したバティックが国全体を象徴する民族衣装へと変身を遂げた歩みは、この国の現代史に重なる。


仕掛けたのは、オランダからの独立を主導した初代大統領スカルノ。1950年代初め、300超ともいわれる民族を一つの国民としてまとめる難しさに直面し、「ジャワのものではない、インドネシアのバティックをつくってほしい」と中華系デザイナーに持ちかけた。


渋い茶色が多いジャワの王宮バティックとは違う、明るい色使いのバティックが生まれた。スカルノは学校や役所でバティックを着るよう指導。「国民文化」として浸透させた。政治とバティックの関係に詳しい国士舘大学名誉教授の戸津正勝は「偶像崇拝を禁じるイスラム教の強いスマトラ島ではガルーダの顔をぼかすなどの工夫が重ねられてきたこともあり、ジャワ以外の島々にも徐々に受け入れられるようになった」と話す。


しかし、60年代半ばにスカルノが失脚しバティック熱は下火になった。90年代末には、アジア通貨危機や、約30年間続いたスハルト政権の崩壊などで国内が混乱し、多くの工場がつぶれた。


潮目が変わったのは2000年代半ばだ。経済が成長軌道に乗り、市民の所得が向上してくると、新たなバティック市場が生まれてきた。




現代に通じる普遍性


ジャカルタのデザイナーのインサナ・ハビビは、洋服に合わせやすく、モダンなデザインのバティックを05年から発表し続ける。ドイツ留学から00年に帰国してすぐにバティックの可能性に目覚めたが、デザインがどうにも地味で、古くさい。「フランスのエルメスのように、国際的に評価される洗練されたバティックを自らつくろう」と決めた。


流行の色や四季の移ろいをデザインに採り入れた。ジーンズなどと合わせて気軽に着られる1万円以下のシャツなども昨年売り出すと、在庫がなくなる人気となった。「インドネシア人だから着るのではなく、東京でもパリでも似合うバティックがあるはずです」


バティックは09年にユネスコの世界無形文化遺産に登録された。触発されたバティアル・エフェンディ(32)は「インドネシア・バティック青年会」をつくり、勉強会やお祭りを開いている。「儀式でシニアが着るイメージだったが、世界に認められたことで若者の受け止め方が変わった」。ツイッターなどで輪を広げ、会員は5000人近くになった。


最近では、インドネシアからの独立志向が強かったスマトラ島北端のアチェ州でも、現地ならではのモチーフでバティックをつくる動きが出てきた。セブラスマル大学ジャワ研究所長のサヒド・トゥグ・ウィドドは「ファッションとして人気が高まったことで市場が広がり、競うように各地で新たなバティックが生まれている」と話す。


1月下旬、ジャカルタの服飾博物館に若者たちが集まった。お目当ては、パリなどのファッションショーで活躍するデザイナー、ディディ・ブディアルジョ(44)の作品展だ。バティックのイメージを生地に織り込んだり、日本の着物の帯を加工したりして仕立てたドレスが並ぶ。ディディは「伝統衣装であるバティックも着物も、現代に通じる普遍性を秘めている」と言う。


ジャカルタのショッピングモールではどこでもバティック店が軒を連ねる。インドネシア・バティック協会の推計では、バティックを着る人は人口の3割近い7000万超。国内市場は14年、世界遺産登録前に比べ4割ほど広がったとみられる。



(江渕崇)

(文中敬称略)

(次ページへ続く)



民族衣装のいま

インドネシアの民族衣装バティックの市場が拡大している。バティックを大量に生産する工場、ジャワの王宮で育まれた古式ゆかしい工房を訪ねた(撮影:江渕崇、機材提供:BS朝日「いま世界は」)




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