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着物に明日はあるか?

[Part3]100年前の型紙1万6000点を保管






ドレスデン工芸博物館で見つかった100年以上前の型紙/photo: Sako Masanori

着物の模様を染めるために使われる型紙。19世紀末、欧州を席巻した「ジャポニズム」(日本趣味)の波に乗って、型紙も海を渡った。


昨年末、ドイツ東部のドレスデン市。19世紀末に日本から持ち込まれた型紙140点の展示会が開かれた。ドレスデン工芸博物館の倉庫に保管されている1万6000点から選ばれたものだ。


和紙に図柄を彫って作る型紙は、何度か使うと捨てるので、当時のものは日本でもこれほどまとまった数は出てきていない。展示を企画したボルフガング・シェペ(59)は「この宝物の存在を、日本の人たちにも知ってほしい」と話す。


シェペが驚いたのは細かな紋の型紙だ。「1平方インチ(約6.5平方センチ)に900個の小さな点がある。離れて見ると無地だが、近づくと柄が見える。当時の欧州では、こんなに時間をかけてものづくりをすることは考えられない」





欧州のデザインに影響も


京都国立近代美術館の主任研究員、池田祐子によると、1万6000点の型紙は1889年、ドレスデン工芸博物館がベルリンの美術商から一括購入したとみられる。日本は当時、明治維新で武士がいなくなり、武士の正装「裃(かみしも)」に使う型紙が不要になった。そのため、染め物師らの手元に大量に余った型紙がドイツにも流れ着いたとみられる。


当時の欧州では英国で始まった産業革命を経て繊維産業が発達しつつあった。型紙はフランスや英国、オーストリアなどの都市でも見つかっており、布地のデザインに影響を与えたとされる。


ドイツでは当時、世界で評判の悪かった自国製品の見た目をよくして差別化しようとの機運があった。美しい工芸品を集めて参考にするため、各地に工芸博物館がつくられた。ドレスデンのあるザクセン州も繊維産業が盛んだった。「型紙のケースには、閲覧する際の取り扱い方が記されていた。博物館に併設された工芸学校で教材として使われたのではないか」と池田はみる。


ドレスデンの1万6000点という型紙の数は、他の都市と比べても群を抜いて多い。シェペらは型紙が実際に産業にどんな影響を与えたのか、研究を進めていきたいという。


(左古将規)

(文中敬称略)

(次ページへ続く)






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