2013年10月、英国の上院議会。議員のリチャード・レイヤードが訴えた。「600万人の大人がうつ病など心の病に苦しんでいる。心理療法の待ち時間をせめて28日以内にするべきだ」
うつ病の治療法には主に、薬による治療と、カウンセリングなどを使う心理療法がある。薬は、軽症だと効かない人もいて、副作用も心配される。そこで、薬以外の心理療法が注目を集めている。
英国の国立医療技術評価機構(NICE)が09年にまとめた治療指針では、症状の軽いうつ病に対し、薬ではなく心理療法などを第1の選択肢に挙げた。英国では08年以降、3000人を超す心理士を育て、患者が無料で心理療法を受けられる仕組みを整えた。
だが、現実は厳しい。メンタルヘルス支援団体「マインド」が12~13年に患者1600人を調べたところ、心理療法の待ち時間は大半で3カ月以上に上り、10人に1人は1年以上も待った。
日本うつ病学会が12年に公表した治療指針では、軽いうつ病への「安易な薬物療法」には問題があると指摘した。だが日本では今も薬による治療が主流だ。
抗うつ薬は、重いうつ病やパニック障害などの不安障害には効果が高いが、軽いうつへの効果を疑う研究もある。飲み始めて急にやめると、めまいや頭痛に悩まされる人もいる。
そもそも、うつ病は発症の仕組みも解明されておらず、薬がなぜ効くのかも実はよく分かっていない。このため、薬が効かないと、次々に別の薬が出され、大量の薬を飲み続ける人も少なくない。
北里大教授で精神科医の宮岡等は指摘する。「たとえば『夜眠れない』という方によく話を聞くと、午後以降にお茶をたくさん飲んでいるような場合がある。お茶を飲まず、昼寝もしないようにするだけで、不眠がよくなることも少なくない。薬の副作用や生活のアドバイスを軽視して、簡単な診察だけで安易に薬を出す医者が多い」
日本でも10年から、うつ病に対して、カウンセリングを通じて物事の受けとめ方や行動を変える心理療法のひとつ、認知行動療法に健康保険が使えるようになった。しかし、保険が適用されるのは医師による治療に限られる。1日に数十人を診察している精神科医も多い中、1人の患者に30分以上かけて認知行動療法を行うのは簡単ではない。的確な心理療法には専門的な知識や経験が必要だ。欧米では心理士が大きな役割を果たしているが、日本の心理士は国家資格ではなく、公益法人や学会などがバラバラに認定している。
治療の前提となる診断も課題だ。たとえば、気分が高まる「躁」と落ち込む「うつ」という両極端の気分を繰り返す双極性障害(躁うつ病)の人は、抗うつ薬を飲めば症状が悪化しかねない。
そこで、心の病を正確に診断するための「バイオマーカー」(生体指標)の研究も進んでいる。そのひとつが、頭に近赤外線をあてる「光トポグラフィー」。脳の中の血流を調べて、うつ病と双極性障害、統合失調症を見分けるもので、昨年から保険が使えるようになった。ただ、東大病院など7施設による13年の研究結果によると、うつ病について光トポによる診断と通常の診断が一致した確率は75%。光トポだけで診断することはできず、補助として使えるだけだ。
「心の病」は診断も治療もまだまだ手探りなのが実情だ。
(左古将規)
(文中敬称略)
(本編3へ続く)