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WHO?

[Part5]専門家と奉仕者の間でゆれる











photo:Hamada Yohtaro


「最高水準の健康」の享受は「万人の有する基本的権利」。1946年に採択されたWHOの憲章は、こう高らかに宣言した。


たばこ、食品、地球温暖化、貧困など健康に影響する要因は無限にある。194の加盟国の求めに応じてWHOの活動は幅を広げていった。


かつては1回の流行で数千万人の命を奪うこともあった感染症は、ワクチンや治療薬の開発と普及で、その脅威は小さくなった。一方で、途上国でも食生活の変化などで、がんや糖尿病など生活習慣病のリスクが増すなど、取り組むべき対象が変化しつつある。


だが、今回のエボラ出血熱をめぐる事態は、感染症の封じ込めに失敗した場合の打撃の大きさを、改めて示した。


感染症の流行による経済的ダメージの8~9割は、死亡など病気の直接的な影響とは別に、人々の「恐怖心による行動」に由来する──。世界銀行は9月にまとめたリポートで、感染を恐れ他者との接触を避けることが、就労率の低下、輸送力の鈍化、港湾・空港の閉鎖へと連鎖していく構図を指摘した。


この事態を防ぐ責任を負う、世界で唯一の機関がWHOだ。ところが、その機能は慢性的な財政難で弱体化していた。




「エボラの教訓」生かせるか


WHOは二つの顔を持つ。一つは、世界万人の健康を守る使命を帯びた誇り高い専門家集団。もう一つは、予算やトップ人事の決定権を持つ194の加盟国への奉仕者である。


前者としては、仕事の必要性を自ら判断し、ヒトとカネをシフトできる自由度が必要となる。だが現状は、ひもつき拠出金による数多くの仕事に追われる「使用人」の顔が目立っている。


日本の官僚機構なら職員は数十年勤めるのが普通。省益優先が批判される一方、一体感・使命感が培われる。WHOでは、スタッフの入れ替わりが激しくなる中で、組織のあるべき姿があいまいになっていなかったか。


この状況を見直す責任を決定権を持つ側が負うべきだ……。加盟国への取材で何度か聞いた言葉だ。その動きの一つとして注目されるのが、8年ほど前に導入された「コア任意拠出金」だ。寄付ではあるが、「ひも」を外して使い道を事務局の裁量に委ねる。


拠出はまだ14カ国だけ、収入全体の5%程度。日本は名を連ねていない。「個別の事業ではなく、成果全体に貢献するという発想の転換が必要」と北欧のある拠出国外交官はいう。


エボラ出血熱をめぐる状況は楽観を許さない。12月1日の記者会見で、現地対策を担うWHO事務局長補、ブルース・エイルワードは「安全な遺体埋葬や隔離治療の体制が確立されつつあり、拡大の勢いは落ちてきている」とし状況の改善を強調した。


仮に流行が終息に向かったとしても、来年の執行理事会や年次総会では「エボラの教訓」が主要議題になる。34カ国の理事国に名を連ねる日本(任期2013~16年)も重い責任を負っている。




(浜田陽太郎、松尾一郎)

(今回の「編集長から」は「岐路に立つWHO」です)






取材にあたった記者


松尾一郎(まつお・いちろう)

1976年生まれ。

ジュネーブ支局長(モスクワ支局員兼務)。取材中に通ったWHO本部の食堂。メニューもよいが、近くの日本庭園が素晴らしい。


大岩ゆり(おおいわ・ゆり)

1961年生まれ。

医療・被曝担当の専門記者(福島駐在)。2009年のインフルエンザの世界的大流行の際は、WHOの電話会見に日本から毎晩、参加した。


浜田陽太郎(はまだ・ようたろう)

1966年生まれ。

GLOBE記者。厚生労働省を中心にドメスティックな社会保障を取材し続けて15年。いきなり視野が世界に広がって、目まいが……。






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