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大学ってなんだ?

[Part1]究極の少人数教育。大学の原点を守る







セントヒルダ・カレッジのヘレンの研究室で行われていた中性フランス語のチュートリアル。サロンのような雰囲気だった大きな窓から緑の庭が見える/photo:Goto Eri



英国最古の大学オックスフォードは、首都ロンドンから北西に100キロのところにある。12世紀以来の伝統があり、世界で活躍するエリートを養成してきた。晩秋の昨年11月、この大学の伝統を象徴する、教師1人に学生2人という究極の個別指導、チュートリアルをのぞいた。


案内された科目は「中世フランス語」。指導教官のヘレン・スウィフト(34)とフランス語専攻の2年生テス(20)、クリスティ(19)の3人が、ヘレンの研究室のソファにゆったりと座る。15世紀の無頼詩人ヴィヨンの「遺言書」について、前もって学生2人が出した小論文をもとに議論していた。


「あなたの小論文にある人形劇の比喩は興味深いわ」とヘレンが水を向ける。「次々と違う登場人物が現れ、人形を取り換えるようだと思ったんです」とテス。特定の言葉や表現から作者の意図を読み解き、さまざまな角度から議論する。ときおり訪れる沈黙。講師の問いに触発され、2人の学生が思考をめぐらせているのがわかる。2人のテキストにはびっしりと付箋が貼られていた。


オックスフォードには、学生と教員が寝食を共にしながら学ぶ「カレッジ」が38あり、学生は必ずどこかに所属し、専攻に応じて、そのカレッジの教師を中心にチュートリアルを受ける。



「ラドクリフ・カメラ」の名で知られる18世紀の建物があるボトリアン図書館は、欧州最古の図書館の一つでもある/photo:Goto Eri

教師1人に学生は多くて3人。人文系学科だと毎週数冊の課題図書が出され、学生は読み込んだうえで小論文を出す。それをもとに週1回、約1時間、教師の研究室に集まり、対話しながらテーマを掘り下げていく。膨大な量の文献を読んでは書き、思考を試されるという訓練を1学期に8回、繰り返す。一人ひとりの関心や学習ペースにあわせた究極のオーダーメード教育だ。チュートリアルを見せてくれたヘレンは言う。「学生は問いに答えながら自らの考えを確立していく。教師はその道程を助けるガイドのようなものです」


オックスフォードの学部のカリキュラムは学科が提供する講義とカレッジが提供するチュートリアルの二重構造になっている。講義は1クラス30人程度で、教授の話を聴く一方通行型。基本的に出席はとらない。


だが、学部教育の中心はあくまでもチュートリアルだ。教師は、個々の学生の長所や短所、成長の過程を見つめながら、卒業という目標に導く役割を担う。その歴史は古く、13世紀末には特に賢明な学者が学寮に住み込み、後輩の指導にあたっていたようだ。今のように学科の講義とチュートリアルを組み合わせる手法は19世紀に整ったという。

聖マリア大学教会の塔からは「尖塔の街」が一望できる/photo:Goto Eri




ムークに対して静観の立場

ジェームスのカレッジは名門セントジョンズ。落ち着いて勉強に集中できる環境が気に入っている/photo:Goto Eri


英国の名門校として双璧をなすケンブリッジ大学にも同様の制度がある。生物学を学ぶ2年のジェームズ・フォーサイス(19)の1週間は濃密だ。3科目分の個別指導、そのための読書とリポート作成、実験、大学の講義……。「専門書の概念を理解したり、実験結果から推論したり」、授業や実験以外の時間も常に頭を使っている。カレッジの科学クラブやパント(平底舟)部にも所属し、大学のテコンドークラブにも顔を出している。


高校時代の成績は、ほとんどがA以上でBは一つだけだった。大学1年目は得意の物理を選択したが、難度は予想以上だった。「優秀な物理学者向けに設定されているように感じた」。カレッジの担当教師らに相談し、2年からは物理を選択から外した。


面倒見のいい教育の成果は著しく低い中退率にも表れる。2010~11年の英国の大学の平均中退率は6.3%だが、オックスフォードは1.3%、ケンブリッジは1%でしかない。


フォーマルな食事の場にもなる「ザ・ホール」。壁にはインドの首相ら著名な卒業生の肖像がかけられていた/photo:Goto Eri

当然ながら、こうした手厚い制度の維持には膨大な費用がかかる。ケンブリッジのクレア・カレッジで学生800人の学業や福利厚生に責任を持つパトリシア・ファラによれば、学生1人にかかる費用は年間1万5000ポンド(約260万円)。政府が認める学費上限は9000ポンドで、差額は大学とカレッジの負担になるが、それを穴埋めしているのが、日本とは桁違いの卒業生らによる寄付金だ。「卒業生は、同じ思いを後輩たちに味わわせたいと思うようです」と話す。


元東大教授で、教育社会学が専門のオックスフォード大教授の苅谷剛彦は、中世に誕生した英国の大学は、国家にも教会にも従属せず、学問によって「自由な精神を持つ特権的市民」を養成する場だったと指摘する。「膨大な書物を批判的に読んで書くうちに精神は自由になる。それを体験した者が教師となり、後輩に伝えていく。長い年月で確立された教育法だけに揺らがない」



敷地内にはケム川が流れる。ため息橋は観光コースのひとつ
/photo:Goto Eri







そんなオックスフォードとケンブリッジは、いま世界で話題の大規模公開オンライン講座のムークに対し、ともに静観の立場だ。両校とも、英国の中でも恵まれた環境で育った学生が多いのも事実だが、オックスフォード教育担当副学長のサリー・マップストーンは言う。「20歳前後の人生の創造期、最も大切なのは自分の考えを臆せず表現する自信を持つこと。対話を通じて思考を形成するチュートリアルはとてもよい訓練になります。大学は、温かい共同体の中で勉学以外にも幅広い経験を積み、人として成長する場です。そうでなければ、大学に通う意味などないでしょう?」。マップストーンは自信に満ちていた。


人口12万人の小さな町に石造りの建物が点在し、「大学の中に街がある」とも/photo:Goto Eri



(後藤絵里)

(文中敬称略)

(次ページへ続く)




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