RSS

時をはかる

[Part3]「10万円の壁」の向こう側





モスクワ世界陸上のセイコーブース/photo:Wake Shinya

セイコーエプソンの小池邦夫は、その腕時計を空に向けた。「いまは北京の時刻を指していますが、ボタンを押すと日本時間に切り替わります」。時計の針がくるくると回り、数十秒で先ほどの1時間後の時刻を指した。


GPS衛星の電波を受信して現在地を割り出し、世界のどこでも現地の時刻にボタンひとつで切り替わる。世界初というGPSソーラー腕時計「アストロン」は、開発に6年かかった。「腕時計に収まるよう、GPS受信の専用チップやアンテナを一からつくった」と小池は言う。


昨年3月、スイス・バーゼルの国際展示会に出展し、昨秋から売り出した。安いタイプでも約15万円するが、20万円を超す高額タイプが一番の売れ筋だ。


「日本の時計には、これまでガラスの天井があった」と、セイコーウオッチ商品企画本部長の加藤幸則は言う。「天井」とは、価格10万円の壁だ。「スイス勢がまねできない新技術を組み込むことで、ようやく、それを突き破るようになってきた」



ノウハウ流出防ぐ


日本メーカーは1970~80年代、クオーツ式腕時計を開発してスイスの時計産業を崖っぷちまで追い詰めた。だが、90年代前半、ブランド価値を高めたスイス勢に再逆転される。その後、伝統と手づくり感をアピールしたスイスの高級時計に対抗できないでいた。


90年代後半になると携帯電話が広がり、「腕時計はいらなくなるのではないかと、先が見通せなくなっていた」。セイコーエプソンの小池は、そう振り返る。


転機は、シチズン時計が開発した電波腕時計だった。日本、米国、ドイツ、中国にある電波塔からの電波をとらえ、自動で時刻合わせをする。その後、太陽光発電も組み込まれ、とくに日本市場で人気を集めた。


他社も新しい機能をつけた腕時計を開発し、商品の価格がじょじょに上がっていく。「最初は6万円、次に7万円、いまでは10万円を超す。新しい製品が出るたび、最上位の製品がよく売れる」。カシオ計算機の時計事業部長、増田裕一は、そう話す。


エレクトロニクス製品は時間とともに価格が下がるのが普通だが、「日本の腕時計は価格が上がる稀有な存在だ」とシチズン時計社長の青柳良太は言う。国内に工場を維持し、ノウハウが外国メーカーに流出するのを防いできたことで、中国や韓国などにライバルが現れなかったことが大きい。



8月下旬、長野県飯田市にあるシチズンの工場を訪れた。全長100mの自動組み立てライン沿いに各種ロボットが並ぶ。すべて自社で開発したシステムだ。このラインで組み立てるのはクオーツムーブメント。自動車でいえばエンジンとギアボックスにあたる。1mm未満のネジや極薄の歯車を、ライン沿いの小型ロボットが腕時計の内枠の中に組み付けていく。ムーブメントに針と文字盤を取り付けてケースに入れれば完成だ。


シチズンとセイコーは、ムーブメントを各国の時計組み立てメーカーに販売している。2社で年間5億個を超す(2012年)。世界の時計生産数は推定10億個だから、2個に1個はセイコーやシチズンのムーブメントが組み込まれていることになる。2社の競争でコストが下がり、普及品用ムーブメントなら単価は100円もしない。当面、新たなライバルは現れそうにない、という。




たくさんつくっても利益伸びず



ただ、廉価なムーブメントの大量生産は、たくさんつくっても利益が伸びないという悩みとも表裏一体だ。


セイコー、シチズン、カシオなど日本メーカーの時計とムーブメントの出荷数は計5億9000万個(2429億円)。うち時計の完成品は6710万個(1828億円)なのに対し、ムーブメントは5億2290万個(601億円)。完成品の8倍近い数をつくっても、ムーブメントの販売額は3分の1にすぎない。


対照的にスイスの場合、わずか3000万個ほどの腕時計完成品で年間輸出額202億フラン(2兆1412億円)を稼いでいる。高額でも世界中で売れるブランド力があるのだ。


日本の腕時計もGPS時計や電波時計で「10万円の壁」を越えたとはいえ、それらがスイスの高級時計に太刀打ちできるほどのブランドには育っていない。シチズン時計社長の青柳は言う。「日本独自の技術を生かしたブランド力を、どこまで高めていけるか。私たちは大きな岐路に立っている」

…続きを読む

この記事の続きをお読みいただくためには、購読手続きが必要です。
GLOBE総合ガイド
  • ログインする
  • ご購読申し込み

朝日新聞デジタル購読者(フルプラン)の方なら手続き不要

「朝日新聞デジタル(フルプラン)」を購読済みの方は、ご利用のログインID・パスワードでGLOBEデジタル版の全てのコンテンツをお楽しみいただけます。「ログイン」へお進みください。
朝日新聞デジタルのお申し込みはこちら

この記事をすすめる 編集部へのご意見ご感想

  
ソーシャルブックマーク
このエントリーをはてなブックマークに追加
Facabookでのコメント

朝日新聞ご購読のお申し込みはこちら

Information | 履歴・総合ガイド・購読のお申込み

Editor's Note | 編集長から

PC版表示 | スマホ版表示