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お茶、再発見

[Part3]英国に伝わり、紛争の呼び水にも/茶の歴史






もともと茶の木が自生していたのは、現在の中国南部など、ヒマラヤ山脈のふもとに広がる地域だとされる。最も早くから茶を飲む文化を発達させてきたのが中国を中心とするアジアだ。中国では紀元前から、茶とみられる植物の記録がある。8世紀の唐の文人、陸羽は、茶を生産して飲むために必要な道具や栽培地域などを記した「茶経」を残した。


茶は文人や僧侶に好まれる一方、貿易商品としての価値もあった。宋や明といった漢民族の王朝は、茶の専売制をしき、茶と引き換えに、チベットなどから戦闘用の馬を買い入れる「茶馬交易」を進めた。だが密輸が広がり、茶馬交易は次第に衰えていく。米ペンシルベニア大教授のビクター・メアらは「茶に対する遊牧民の渇望の方が、専売制を維持し取り締まる皇帝の能力より強かった」からだと述べている(河出書房新社「お茶の歴史」、忠平美幸訳)。


欧州には17世紀に、中国や日本から海路で茶が伝わった。産業革命を成し遂げ、世界をまたにかける帝国へと成長しつつあった英国で大人気を呼んだことで、茶は政治や経済とさらに密接に結びついていく。


英国は中国の茶と引き換える産品がなく、銀の流出を防ごうと、清にインド産のアヘンを売った。これが1840年にアヘン戦争を引き起こし、西欧列強の中国進出のきっかけとなった。



植民地で大量生産 一気に中東へも



「今から考えたらムチャクチャな話。それほど、英国人はお茶にいかれてしまったということです」。経済史の立場から茶を研究し、「茶の世界史」(中公新書)を著した和歌山大名誉教授の角山栄(91)は語る。英国の「お茶熱」の根底には、ポルトガル人らが紹介した日本の「茶の湯」など、アジア文化への強いあこがれがあったというのが角山の解釈だ。



英国は植民地インドのアッサムで茶の栽培を始め、大規模な茶園に育てる。インド産の安価な紅茶の大量生産によって、中東などイスラム圏にも紅茶が一気に広まった。スリランカ(当時はセイロン)で茶を育てたのも英国だ。


1773年には、英植民地だった米国のボストンで、本国からの茶への課税に反対する独立派がイギリス船に積まれていた東インド会社の茶箱をボストン湾に投げ捨てた。「ボストン茶会事件」だ。これを機に、米国独立への機運が高まっていく。

日本には9世紀ごろ、遣唐使を通じて茶がもたらされたようだ。日本で茶を飲む習慣が本格的に広がるきっかけを作ったのは、平安・鎌倉時代の僧、栄西だ。宋代の中国に留学して茶の知識を深め、「喫茶養生記」で効用を伝えた。中国から茶の苗も持ち帰り、やがて僧侶や貴族、武士の間に茶の習慣が浸透した。16世紀後半に「茶の湯」の文化として結実するが、茶を飲む習慣が庶民にも広がったのは江戸時代のことだった。


(青山直篤、秋山訓子)


(文中敬称略)

本編3に続く)

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