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[Part1] “「イエ」が重んじられなくなり養子は例外的とみなされた”

湯沢雍彦 お茶の水女子大名誉教授

日本の養子縁組の実態を知る手がかりは、最高裁判所が毎年出している「司法統計」くらいしかない。分かるのは未成年の縁組の件数だけだ。「集計事務の簡素化」(最高裁)を理由に1999年以降、それまでは調べていた養子の性別や年齢、養親との関係など詳しい情報は把握されなくなった。お茶の水女子大学名誉教授の湯沢雍彦(やすひこ)は「成人のケースも含め、研究しようにも基礎データがほとんどない」と嘆く。


 

では、養子縁組の対象となる子どもの状況はどうか。

厚生労働省によると、実の親が育てられない「要保護児童」は約4万7000人。児童虐待防止法ができたことなどで増加傾向にある。その9割が施設で暮らすという数字は、世界でも突出している。

 

国連子どもの権利条約は、子どもは家庭環境のもとで成長するべきだとしている。国連児童基金(ユニセフ)は、子どもが施設で長く暮らすことは感情面や社会性の発達を遅らせるとしている。「施設よりできるだけ家庭で」が世界の流れだ。


厚労省も「施設偏重」を見直そうとしている。2009年には、子どもが実親の元に戻る道を残しながら家庭に引き取って育てる「里親」への手当を大幅に増額した。ただ、こうした施策の対象に養子縁組は含まれない。「里親手当は養育への報酬の意味合いが強い。養子縁組で戸籍の上でも親子となれば、親が子を育てるのは義務。それに対して報酬を払うのは不自然」(厚労省)という理由だ。


地域の児童相談所も養子の斡旋まではするが、縁組が成立すれば支援の対象外に。民間の斡旋事業は自治体への届け出制で、厚労省によると全国で15団体。しかし、無届けで活動している個人や団体もある。養子縁組の実情はとらえにくい。
養子を求める人についても統計などはなく、現場の様子から推し量るしかない。


県内の産婦人科医と協力して赤ちゃんの養子斡旋を手がける岡山県ベビー救済協会では、生みの親が育てられず縁組の対象となる子は年間10人前後だが、養子に欲しいという人は140人ほどいるという。
複数の養子斡旋団体が指摘するのが、そうした希望者の中に不妊治療を経験した夫婦が目立つことだ。大阪と神戸で活動する社団法人「家庭養護促進協会」では、養子を求める人の9割が1~15年の不妊治療を経験しているという。結婚、出産の年齢が高くなり、不妊治療のすえに養子という選択を考える。そんな姿がみえてくる。


埼玉県在住のライター吉田奈穂子は6年前、県の児童相談所を通じて里親として9カ月の女の子を迎え、後に特別養子縁組をして親子になった。


40代後半の吉田は里親になる前に2年ほど不妊治療を経験した。一度は妊娠に至ったが、切迫流産してしまう。病院のベッドで夫に「里親になることを真剣に考えたい」と告げた。「子どもがいたら、人生の穴が埋まる気がした。後悔したことは一度もない」という。


吉田は独り、ネットなどで情報を集めながら「自分には無理かも」「でも子どもを育てたい」と気持ちが揺れたという。「ふだん里親や養子の情報に触れる機会はほとんどない。考え始めた時には遅かったということも十分考えられる。早い段階で知識だけでも得ておくことは後の人生の選択に役立つ」と言う。


東京都の主婦ルイス美和(44)は07年夏、国際学校の教師を務める米国人の夫(41)と10年ぶりに帰国し、養子を迎えた。美和は04年にがんを患い、米国で1年ほど抗がん剤治療を受けた。子どもを持たないことも考えたが、治療の間、家族や友人の愛情に支えられ、「病気を克服したら愛情を注ぐ側になりたい」と考えたという。


選択は正しかったと、4歳になった息子の成長を前に実感する。唯一気になるのは養子に対する社会の視線だ。レストランで食事をしていた時、隣の席の家族が「息子さんハーフっぽくないですね」と話しかけてきた。美和が「養子なので」と明るく答えると、その家族は「……すみません」と謝り、会話は途絶えてしまった。


日本の家族制度を研究してきた湯沢によれば、第2次大戦前後まで、家業や家系を維持するため養子はよく見られたという。養子に寛容だった社会が変わったのは、高度成長期を迎えたころから。

「『イエ』が重んじられなくなる中で、養子が例外的なものとみなされていった。偏見にさらされ、秘密にしようという空気が生まれていった」と指摘する。

 

 

(後藤絵里、築島稔)

 

(文中敬称略)

 

 

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