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国際基準の「考え方」

[Part1] 日本の「暫定規制値」 急ごしらえの限界

 

原発から大量の放射性物質が漏れ出るなかで、あわてたのは厚生労働省と農林水産省だった。

「原発の近くの農産物が市場に出回ってもいいのか」という問題が浮上したからだ。折しも、春物の野菜の出荷シーズン。だが、規制するにしても、何を根拠にするのか──。


有毒・有害な物質が一定の基準を超えて含まれる食品は、食品衛生法で販売が規制されている。しかし、放射性物質についてはこの法律上の規定がなかった。政府は内外の基準を調べたすえ、震災6日後の3月17日になって、原子力安全委員会の防災指針にある指標値を「暫定規制値」として流用することに決め、自治体に通知した。


防災指針は、平常時ではなく事故時の対応のガイドラインだ。つくられたのは米スリーマイル島原発事故の後。飲食物についての指標値はチェルノブイリ原発事故のあとの1998年に改訂されている。


当時の報告書を読むと、改訂にあたって、ベースにした数値があることが分かる。ICRPの1984年勧告にでてくる「5ミリシーベルト」という値だ。


この勧告は、事故の発生後数時間から数日間の「中期」には、水と食料品の流通・消費の制限がありうると指摘。

食品を通じた被曝量が年間全身で5ミリシーベルトを上回る恐れがあることを制限導入の目安にした。通常時の一般人の限度(1ミリシーベルト)より高い値だが、水や食品の不足が予想されるようなときには、一時的には高めの値を許容するという考え方だ。


防災指針はさらにICRPの1990年勧告もふまえたうえで、放射性のセシウム類とウラン、プルトニウムでそれぞれ年間5ミリシーベルト、ヨウ素については甲状腺にたまる量で年間50ミリシーベルトという数値を飲食を制限する目安に採用。それを上回らないようにするため食品を数グループに分けて必要になる指標値をはじいた。


この指標値の流用を決めた後、厚労省は、食品安全委員会に放射性物質についてのリスク評価を依頼した。食品安全委員会は、牛海綿状脳症(BSE)での混乱をふまえてつくられた組織。

ここでの科学的な評価をしたうえで、厚労省などが規制値を定めるのが本来の筋なのだが、非常事態で順序が逆になった。


委員会は依頼から9日後の3月29日に「緊急とりまとめ」を公表。セシウムとヨウ素について、防災指針の考え方を「食品由来の放射線曝露(ばくろ)を防ぐうえでかなり安全側に立ったもの」などと追認した。


ただ、この規制値には二つの「限界」がある。


一つは、「緊急とりまとめ」にも書き込まれているように、時間的な制約のなかで、いわば応急的につくられたという限界だ。

食品安全委員会が検討したのは、防災指針のもとになった報告書やICRP、WHO、IAEAなどの国際機関の文献が中心。「厚労省からの資料は評価を行うには十分なものではなかった」とも記され、「とりまとめ」のかなりの部分はICRP文書の引用で占められている。


もう一つは、つくられた基準そのものが「非常時対応」の性格を持ち、「平常時」のリスク管理の根拠に使うのは不適切としている点だ。
そもそも防災指針自体に、「この指標は放射性物質が健康に悪影響を及ぼすか否かを示す基準ではない」との注記があり、原発事故などの緊急事態に、対策を判断する目安の値だとされている。ICRPの数値も、事故時を前提にしたものだ。


この点も食品安全委は認めており、「食品健康影響評価に関するワーキンググループ」で、平常時の対応のもとにもなるリスク評価を議論し、7月にもまとめるという。


ただし、物質ごとの性質などについての細かい検討は進んでいるものの、結論の方向性はまだみえていない。

 

ワーキンググループ委員を務める東京大学医学部教授の遠山千春は、「体の外からの『外部被曝』と、食品などからの『内部被曝』をあわせて健康に影響をもたらさないとみなせる全体の被曝量の基準を、まずは決めるべきだ」と話す。


「5ミリシーベルト」という数字を変えるのか。個別食品の規制値のはじき方はどのように決めるのか。非常時と平常時をどう区別するのか。規制値が変わったときに農産物の検査や生産・流通への影響はでないのか──。課題は山積みだ。

 


(梶原みずほ)


(文中敬称略)

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