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国際基準の「考え方」

[Part1] ICRP幹部にパリで会った

 

東電の原発事故から3カ月余り。この間に日本政府がとった対策の「よりどころ」をたどると、多くの場合、ICRPという組織に行きつく。International Commission on Radiological Protection(国際放射線防護委員会)のことだ。

 

例えば、首相官邸のホームページにある「計画的避難区域」のQ&A。今後1年間での放射線の合計が20ミリシーベルト以上と予想される地域を対象にした理由について、「国際基準です」と説明し、「ICRPが定める、緊急被曝状況における放射線防護の基準値」と付記している。

ICRP側も事故直後の3月21日に、対策を考えるうえでの目安にすべき数値を挙げた声明を発表していた。

20ミリシーベルトといった数字は、福島県内での学校の校庭利用でも議論になった。「国際基準」はどんな考え方なのか。

 

5月下旬、二人の中心的なICRPメンバーをパリに訪ねた。一人はカナダ人のクリス・クレメント。ICRPの事務を仕切る科学書記の肩書を持つ。もう一人は20年近くICRPにかかわるフランス人のジャック・ロシャール。放射線防護が専門で経済学者でもある。

ICRPには本部組織はない。世界各国で放射線関連の研究や業務に携わる約250人の専門家のネットワークで、専従はオタワに住むクレメントとその助手の2人だけ。各国をクレメントが飛び回って調整にあたる。パリにも事務所があるわけではなく、二人に会ったのは街中のカフェだった。

 

まず尋ねた。「3月21日の声明の狙いは何だったのか」。政治的独立性を掲げるICRPは各国の個別案件に言及しないのが原則で、今回は異例の対応だったと聞いていたからだ。

クレメントはこう説明した。「被災者への哀悼が第一。それに、この数年にICRPが出した重要な勧告を日本の人々によく知ってもらいたかった。勧告が各国で熟知され、法令や規制に反映されるまで10年かかってしまうこともざらだから」

 

重要な勧告とは、「2007年勧告」と、それをさらに具体化した09年の二つの文書を指す。原発事故が進行中のような時期(緊急時被曝状況)には被曝を減らす対策の目安を「年間20?100ミリシーベルト」に、事故後の復旧期に被曝が長く続くような場合(現存被曝状況)は「年間1~20ミリシーベルト」に置いた。

これは安全性についての基準なのか?

ロシャールは「ノー」と首を振った。勧告の数字は「それ以下なら安全」という意味ではなく、移住や除染、食品の規制など、様々な対策をとるうえで、当事国の政府が判断するための目安(参考レベル)であるという考え方だ。しかも、その範囲内であっても、合理的にできる範囲で被曝を減らす努力を続け、最終的には1ミリシーベルト以下を目指すことが「不可欠」とされている。

 

こうした枠組みをつくった理由について、ロシャールは「事故後もその地域で生活を続ける個人の意思や尊厳、自由を尊重する哲学が背景にある」と話した。彼は、86年のチェルノブイリ原発事故後、高濃度の放射性物質で汚染された地域に何度も足を運んだ。その土地にとどまることを選んだ人々が何を求め、何が必要か、現地の人と同じものを食べながら考えたという。

日本政府が計画的避難区域の基準を年間20ミリシーベルトにしたことについて、ロシャールは「アンビシャスゴール(野心的な目標)だ」と評価した。「原発をコントロールできていない今はまだ緊急時。その段階としてはリスクを最小にするラインをとった」と考えるからだ。

 

ただ、日本政府はいまがどういう状況か、それがいつまで続きそうかという認識をはっきりさせていない。原発周辺は緊急事態が続くが、復興段階の地域もあり、「境目の20ミリシーベルトをとることに意味がある」(政府関係者)という。

 

では、この水準での健康へのリスクを、ICRPはどうみているのか。

長い期間かけて累計100ミリシーベルトの放射線を浴びた場合、将来的に致死性のがん・白血病になる確率が0.5%増える、というのがその答えだ。1000人の集団ならばがんでの死者が5人増えるという意味になる。がんになった場合の平均余命の損失は、平均13~20年程度とも見込む。

 

被曝量と発がんリスクは、ほぼ直線的に比例するという見方もとっている。累積200ミリシーベルトなら発がんリスクは1%。逆に20ミリシーベルトならば0.1%、つまり「1000人に1人」になる計算だ。

ただ、100ミリシーベルト以下の「低線量被曝」については、他の要因による発がんに比べリスクが小さくなるため確かなことはいえず、比例関係が続くというのは対策をとるうえでの「仮説」だ。

 

一方、「発がん確率は低線量になると直線的には下がらない」としてリスクをより大きく見る主張もあれば、逆に「ある数値(しきい値)以下ならリスクがなくなる」との見解もある。ICRPは前者について否定的な立場をとりつつ、後者の証拠もないとしている。

 

パリであった2人に聞いてみた。「ゼロリスクではない」としながらも、低線量の世界は「ブラックボックス」「ミステリー」という答えだった。

 

(梶原みずほ)

(文中敬称略)

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