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原発、揺れる世界

[Part1]

[フランス]電力の約8割が原子力。サルコジは安全性誇示

国末憲人 GLOBE副編集長

 

物議をかもす来日だった。

大統領のサルコジは先月末、外国首脳として初めて東日本大震災後に来日し、首相の菅直人との共同記者会見で次のように強調した。

「フランスがつくっている第3世代の原発は、(福島第一原発のような)40年前のものよりずっと安全だ」

 

事故対応に忙しい国に押しかけ、自国の原発の優秀さをアピールする――。傲慢(ごうまん)で知られるサルコジならではの振る舞いには、自国の原発輸出ビジネスへの悪影響を最小限に抑える狙いとともに、フランスの国内世論を動揺させまいという思惑も隠されていた。

 

いまフランスには19カ所、58基の原発があり、電力の8割近くを原子力でまかなう。第1次石油危機(1973年)の際、ポンピドー政権が「国家の独立にはエネルギーの独自確保が不可欠だ」と原子力開発を指示。その翌年に発足したジスカールデスタン政権が強力に推し進めた。

 

これまでは世論もおおむね原発推進を支持してきたし、ここ数年は、地球温暖化に立ち向かうクリーンなエネルギーとして、新興国や途上国に自国の原発を積極的に売り込んでいた。

 

そんな「原子力大国」に、今回の事故は少なからず動揺を与えている。

南フランスのトリカスタン平原は「コート・デュ・ローヌ」で知られるワインの一大産地だ。穏やかに晴れた空の下にブドウ畑が広がり、人々は昼飯時から赤ワインのグラスを傾ける。

 

クロード(54)は、酒蔵が並ぶサンマルセル・ダルデシュ村にある4ヘクタールの畑でブドウを栽培している。人なつっこい笑顔と、出っ張ったお腹(なか)。強い南仏なまりで、まくしたてた。

「フクシマの被害には、本当に心が痛む。とても他人事とは思えないよ」

 

原発をのぞむ川辺には、日光浴を楽しむ人がいた=南フランス・トリカスタン
photo : Elsa Cadier

トリカスタン平原でも不安が急速に広がっているという。ここのもう一つの名物は原発なのだ。原子炉4基のほか、ウラン濃縮施設など関連産業が集まっており、再処理施設がある北部ラアーグに次ぐ国内第2の原子力基地である。

「ここもいつか、チェルノブイリやフクシマみたいになるよ」。クロードは肩をすくめた。実際、規模は小さいとはいえ、すでに事故は起きている。

 

2008年7月8日、ウラン濃縮工場の廃液処理施設で天然ウラン74キロを含む廃液がタンクから流出。地元のボレーヌ市で緊急態勢が発令された。

市民の携帯にすぐさま警報を届けるシステムを始動したところ、たちまち回線がパンクした。「結局、1軒ずつ扉をたたいて警報を知らせるはめになった」と、第1副市長のポール・エマール(69)は言う。

 

事故の深刻さは、8段階の国際評価尺度(INES)で下から2番目の「レベル1」。地下水の使用や川での遊泳、漁業が禁止された。「ボレーヌ」「トリカスタン」と名がつく農産物は売れなくなり、地元ワイン「コトー・デュ・トリカスタン」も名前を変えた。

エマールは言う。「この地方で大地震や津波の恐れは少ないが、洪水の危険が常にある。キャンディー工場とは訳が違うんだから、原発は安全管理と情報提供をしっかりやってもらわないと」

 

一方、農業のほかにさしたる産業がないこの地域で、原子力施設は地元の雇用にとって欠かせない。約1万4500人の市民のうち、原子力関連施設で働く世帯が3割近いというジレンマもある。「こんな土地から出ていきたい、と思う人はいる。だけど、自宅を売ろうにも買い手がいない。移住の資金もつくれない」とエマール。

 

しかし、日本の事故は、これまで低調だった反原発運動を目覚めさせた。

「原発の補助金で立派なスポーツ施設ができたし、地元は原発に好意的だった。でも、不安が急に広がっている」。そう話すのは、地元紙ドフィネ・リベレ記者のフランソワーズ・バランタン(29)だ。

 

地元の反対派は原発の周辺で集会を開き、施設の即時活動停止を求めた。これまではあまり見られなかったことだ。

集会を呼びかけた反原発団体「核からの脱却」のジャン・ロベスト(58)は言う。「原発が雇用をつくると思っている人が地元には多いが、原発を解体するとそれだけで地元は15年間は食べていける。原子力からの脱却こそが地元の発展につながる」

 

フランスではこれまで、核兵器と原子力への批判がタブー視されてきた。冷戦時代、西側にいながら米国とは距離を置く独自の外交を展開したフランスでは、国家の根幹を核兵器と原子力が支えているとみなされていたからだ。

最近、核兵器については、その開発過程で多くの地元住民や軍人が被曝(ひばく)していたことが明らかになり、批判を受けて補償制度ができた。

 

原子力も今回の事故をきっかけに、公然たる批判が大手メディアでも語られるようになっている。「原発大国」でかつてない変化が起き始めている。

 

反対世論の拡大を警戒


フランスでは原発事故がとてつもなく多い。8段階の国際評価尺度(INES)で下から2番目の「レベル1」の事故は、仏電力公社(EDF)の原発だけでも2010年に74件、09年には95件あった。「レベル2」も両年で1件ずつ起きている。

だが、国民の関心は小さく、報道も少ない。高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故(1995年)や関西電力美浜原発3号機の蒸気噴出事故(04年)など、「レベル1」の事故が日本で大騒ぎになったのとは対照的だ。

フランスの鈍感さの理由は、原子力の情報を一部のエリートが独占し、厳しく管理していること。そして、「地下資源に乏しく、エネルギーを確保するには原子力しかない」という国民意識だ。

 

脱原発の動きが、まったくないわけではない。06年、原子炉の技術者や物理学者らでつくる「ネガワット」が、原発廃止への3段階のプログラムを提案した。約15%の省エネから始め、発電所での熱の有効利用やバイオマス発電などの充実をへて、40年に原発を全廃するという。公表時は注目されなかったこの構想が、今回の事故後に一躍脚光を浴びている。

「天災がきっかけだが、人災の側面も否定できない」。ネガワットに協力する元環境相顧問の原子力工学者ベルナール・ラポンシュ(72)は、今回の事故をそう分析する。「スリーマイル島、チェルノブイリ、フクシマと、原発は定期的に大惨事を引き起こしている。原子力推進は、そんな大事故を受け入れることに他ならない」

 

右翼から共産党まで既成政党が原発推進を掲げてきた政界にも変化がみられる。社会党党首のオブリは事故後に出演したテレビで「20~30年後に原発から脱却する道を探る」と、大政党の代表として初めて脱原発の可能性に言及した。

 

有力紙ルモンドの原発記者エルベ・ケンプ(53)は言う。「原発をやめるなら、消費文化を転換し、社会観を変える必要がある。いずれ人類が直面する問題なのだから、いまその選択をしたい」

こうした声にサルコジ政権は警戒感を強めている。サルコジは「経済競争力の確保と環境への配慮から、(原発推進という)わが国の選択に疑問は差しはさまない」と述べた。

 

(文中敬称略)

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