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シェフと科学者が並ぶ教壇

[Part2]

[フランス・パリ]

「人工物の方が体にいい」

 

馬車は自動車やロケットに進化した。料理だけは、相も変わらず中世と同じように鍋を使っている。私は、こんな古くさいやり方を葬り去りたい」

 

穏やかな話しぶりとは裏腹に、教授の話す内容はのっけから挑発的だった。

「だいたい鍋なんて、熱エネルギーの8割は無駄になる。環境重視の時代に乗り遅れた産物だ」


パリ大学や高等師範学校などフランスの教育研究機関が集まるパリ・カルチエラタン地区の南の端。実験器具や書類が雑然と置かれる仏国立農学研究所の実験室で、教授のエルベ・ティス(55)は図表と化学式を示して熱弁を振るった。

長い間洗濯もしてなさそうな白衣はよれよれ。「こんな格好で実験するのが一番性分に合っている」と屈託がない。

 

もともと料理好きだったが、30年前に自宅でスフレを焼いていて、うまく膨らまなかった。

「どうしてあるスフレは成功し、別のスフレは失敗するのか」。そう考えたのが、化学の研究分野としては注目されてこなかった料理をテーマにするきっかけだった。

 

 

材料や調理過程を分子式として分析し続け、1988年に「分子調理法」を提唱。低温調理、泡状化、冷凍粉砕といった、いまやレストランで広く使われる新技術を発展させた。


仏の現代料理界を代表する三つ星シェフのピエール・ガニェール(60)と共同で新たなメニューも考案。451種のソースを23の分子式に分類し、24番目の新分類のソースを創作した。


94年からは、分子調理法を発展させた「単音調理法」を提案。食材を和音になぞらえ、和音を構成する単音に当たる要素を抽出して調理に生かすべきだと主張している。「料理は、音を分解して構成し直すシンセサイザーのような役割を果たすべきだ」

 

2008年、ティスとガニェールは香港のレストランで、単音調理法に基づくメニューを発表した。

その一つが「ウエーラー風オマール」。ポリフェノール、エタノール、ビタミンCなどを使い、自然の食材を一切使わないでソースをつくりあげた。

ウエーラーは、本来は生物に由来する有機物を初めて人工的に合成したドイツの化学者の名だ。


「オマールエビだけは本物を使わざるを得なかった。残念だ」とティス。現代の技術で肉やイクラ、かまぼこは人工的につくることができるが、エビまでは難しいという。


しかし、そんな人工の物質ばかりで体に害はないのだろうか。

「実は、人工物の方が健康にいい。自然界は決して人間に優しくない。植物なんて毒物だらけだ。森を探してもフライドポテトなんて実っていない。毒物をいかに調理して食べるかが、人間の知恵だった」
そうティスは力説する。


自らの考えを広めようと、毎月、無料の講習会を開催している。ただ、相手にするのは高級レストランばかり。

それは「政治的戦略だ」という。「有名シェフが採り入れれば、家庭もきっとまねをする。私は、一般家庭の台所の非合理な調理法にこそ革命を起こしたい」


2月、パリの下町19区の大衆ピザ屋に行ったら、泡状化のための機器サイフォンが置かれていたのが目に入った。自分の研究成果がこんなところまで広がっている─。

 

「その瞬間思ったんです。『この勝負、もらった!』と」

 

(国末憲人)

 

(文中敬称略)

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