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東京のサントリーホールで今月3日、スタニスラフ・ブーニンのチャリティーコンサートが開かれた。弾いたピアノは、「ファツィオリ」というイタリア製。このホールには置いていないため、都内にある日本総代理店から前日に運び込まれた。
コンサートの7時間前からピアノを調律したファツィオリの日本人調律師、越智晃(37)が言った。「とにかく、多くの人にこの音を聴いてもらいたい。長い歴史を持つ楽器に、最先端技術を結集させた音がする」
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イタリア北部サチーレ。ベネチアから約60キロの小さな田舎町に、ファツィオリの工場を訪ねた。山々が近く、澄んだ水をたたえた川が流れる。
「音響学で有名な教授に初めて会いに行ったときは、『新しいピアノを作りたいだって? 何をバカなことを』と追い出されそうになったよ」。社長のパオロ・ファツィオリ(66)は、32年前を懐かしそうに振り返った。
パオロは6人兄弟の末っ子としてローマで生まれた。実家は家具製造業で成功しており、後継ぎの一人として厳しく教育された。ピアノは10歳から弾いていたが、ローマ大学で工学を学び、家具工場の生産現場などで働いた。
「でも、僕はピアノをやりたかった。工学的な知識があり、家具工場で木材について学び、起業家としての教育も積んだ。ピアノ作りは運命だとすら思った」
1970年代当時、ピアノの需要は世界的にピークを迎えていた。大量生産で質が落ちたと感じたパオロは「他社製のまねはせず、イタリア的なピアノを作る」と決めた。
木材研究の学者にも相談。最も大切な弦の下にある響板について「通常のスプルース材でなく、(17~18世紀の弦楽器製作者)ストラディバリが好んだ赤トウヒを使え」と助言された。従来のピアノメーカーは作ってから音の調整をしていたが、コンピューターでシミュレーションし、弦の長さや太さ、響板の厚みなどをミリ単位で変えていった。
試行錯誤を重ね、80年にできたのが最初のモデルだ。87年には、長さ308センチもある世界最大モデルを発表。音色を変えずに音量を小さくできる「第4のペダル」が付く。弦をたたくハンマーの位置を変えず、たたく距離を短くする最新技術で、踏むと鍵盤が下がる。
ファツィオリを置くベネチアのフェニーチェ歌劇場の芸術総監督、フォルトナート・オルトンビーナ(50)は「これまでのピアノとは全く違う、オリジナルな音」と表現した。低音が特に柔らかいという。
工場では32人の職人が働く。側板作りから弦張り、塗装、研磨などすべて手作業だ。響板は気温30度、湿度30%の部屋で2年間、寝かす。年間120台しか作れない。1台が約900万~2200万円で、値段も世界最高レベルだ。

現在、グランドピアノで有名なのはスタインウェイを筆頭に、ベヒシュタインやヤマハが買収したベーゼンドルファーだが、みな1800年代に創設されている。新参者のファツィオリが割って入るのは、並大抵のことではない。日本のホールにあるのも6台だけだ。
それでも今年、初めて国際的に権威あるショパン国際ピアノコンクールの公式ピアノに認定された。10月にワルシャワで、スタインウェイ、ヤマハ、カワイに加わる4台目としてデビューする。「どれだけの弾き手がファツィオリを選んでくれるかな」。少し心配そうにパオロがつぶやいた。
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パオロが「100万人に一人の逸材」と絶賛する越智は、小学生のころからピアノのメカニックが好きで、12歳で小遣いをためて1万円のチューニングハンマーを買った経験を持つ。国立音大を卒業し、スタインウェイで10年以上働いた後、2年前にファツィオリへ移った。

ショパン国際ピアノコンクールの調律を任されているのも彼だ。「欧州のピアノメーカーのために日本人が調律するのは初めてだと思う。責任を感じる」
越智は、サチーレでパオロと初対面したときのことが忘れられないという。コンサート・グランドピアノの調律を1台、まるごと任された。「僕が知る限り、この仕事をアジア人にやらせたケースはなかったので、びっくりした」
期待に応えようと、工場の一室にこもって3日がかりで仕上げた。調律した新品を、5年前に作った同じモデルと並べて弾いたパオロは、「素晴らしい」と喜んだ。ただ、弦をつめではじいたら、5年もののほうが音の延びが少しだけ長かった。パオロは越智に「5年の時が作ってくれた音だよ」と言った。
「年を重ねたピアノのボディーだから、調律だけでは出せない音の延びが出たということ。この人は楽器作りで『時』を大切にしている、一緒に仕事がしたいと思った。古い楽器を新しく高めるパオロの夢に、僕は乗ったんです」
(文中敬称略)