TOPへ
RSS

[Webオリジナル]インタビュー 空を語る

[第14回]

「政治家には、役人のバイアスを見破る眼力が求められている」

福井秀夫・政策研究大学院大学教授

建設省キャリア官僚を10年以上務めた後、学界に転身した福井秀夫・政策研究大学院大学教授は、キャリア官僚制度の廃止など、ラディカルな意見を持つことで知られる。民主党政権下での政官関係をどうみているのかを聞いた。
(2010年2月16日、東京・六本木で。聞き手・山口進)

 

――民主党政権になっての政官関係をどうみていますか。

ふくい・ひでお 1958年生まれ。81年東大法学部卒業、建設省入省。96年法政大社会学部教授。01年から現職。京都大学博士(工学)。著書に『官の詭弁学』(日本経済新聞社)、『ケースからはじめよう 法と経済学』(日本評論社)など。

福井秀夫 例えば、公務員に答弁させない、というのは原理主義的で、かえって官僚機構の考え方を検証しにくくなるので問題だ。

最後に責任をとるのは政治家。役人のやりたいことを聞いた上で、情報を出させて、大所高所から判断すればいい。政治家が電卓を叩くのではなく、大所高所の判断が重要。政治家が小役人化してはまずい。

役人の意思決定には、基本的は、OBの利害、関連業界の働きかけなどによるバイアスがかかっている。政治家は、そのバイアスを見破り、適切に国民利益をもたらすよう誘導、監督できる能力を持つ必要がある。自分が役人の代わりに同じようなことをやってもダメ。役割分担を上手にすべきだ。(役人には)対外発信、記者会見もさせる、ただし下手なことをやったら許さない、とグリップする。そういう政治家がいない。

今みたいにパフォーマンスで政治主導というのはナンセンスだ。むしろ、官僚の生涯を丸抱えするキャリア公務員制度こそ利権の温床であり、そちらにメスを入れないと本質的問題は解決しない。(官僚の)情報操作を見抜くべきだ。

政治家の役割は、大所高所からの政策判断。技術的事項は官僚機構と外部専門家をうまく活用すべき。下書きやデータ作成を丸ごと官僚機構に任せる旧来の与党方式は問題だが、政治家が官僚化しかねない丸ごと肩代わり方式も問題。要は、国民本位の政策が実現すればよい。それを支えるシステムを考えないといけない。公務員組織は、上手に使えばパフォーマンスは高い。膨大な金と人と権限の集積部隊なのだから。

昨年の事業仕分けは、よい意味での政治主導のテストケースとしての意味があったのではないか。省庁側から出てくる政務官、副大臣は、場合により、役人より役所の利益の代弁者をしていた。例えば、ある官庁の政治家は、省益擁護のメモをそのまま読み上げて、仕分け人の同僚政治家に「振り付けメモを読んでるんでしょ」と言われていた。

現政権の政務官や副大臣を見ていると、役人を敵に回さず、ただ仲良くやっている例も多い。むろん協業関係を築くことは大事だが、仲良くなりすぎて省益の擁護者になってはならない。官庁の持つ利権が集票に結びつく以上無理からぬ点もある。次官や局長を喜ばせておいて損はない、と極端に大事にする向きもある。しかし、これでは、自民党と変わらない。現に、政府に入っている政治家の多くの役人との関わりは、パフォーマンスの部分を除くと旧政権とそれほど変わらないように見える。官僚機構と縁のない無役の若手議員はバイアスが掛かりにくく、政治家らしい大局判断に向くことが多い。閣内にいない中堅、若手。事業仕分けは、そこに意味があった。入閣したらむしろ危ない。閣内の自らの所掌の官庁に所属する××担当が最後の評定者をやっていたらダメ。公務員組織と浅からぬ接点があることで判断が曇りかねない。

事業仕分けは、財務の予算査定部局がかねてより問題視してきたいかがわしい予算群に、衆人看視の下で、政治が直接の評定者となってメスを入れた、という側面がある。特に、厚労、文科、外務などの聖域視されてきた分野を検証した意義は大きい。

仕分けというシステムは、当初シニカルに見ていたが、一定の意味があったと思う。例えば第2グループでは、事前相談もないのに、チーム内でほとんど方向性が一致することが多く、結論にも大きな異論がなかった。同じ相場観で収束することの多い均質性と安定感のある集団だった。評定者の尾立源幸参議院議員、菊田真紀子衆議院議員の見識、情熱、センスに負う部分も大きかった。


――キャリア官僚制について、一貫して批判的な立場ですね。

福井 キャリア公務員制度はやめるべきだ。その道一筋という人が終身公務員として自分たちの身内の利益誘導が可能な形で政策立案に携わることが、腐敗の温床だ。最低限本省の局長以上、最終的には課長以上も、全部短期の政治任用にすべきだ。

政治にも問題があるが、行政はさらに問題が多い。組織の維持・存続、OBの就職口確保のために、互助団体として公的組織を私的に利用している。そういう志向を持つ動機のない人のみが政策に携わる公務員になるべきだ。

キャリア任用制は、人生丸抱えの仕組み。ずっと組織に身を捧げる。身分保障、相互扶助が業務を歪める。特定の団体、政治家と持ちつ持たれつになる。

その組織に忠誠を尽くす人たちは、公共利益の代弁者を演じて、自分たちの利益をもぐりこませる。科挙をモデルにした日本の官僚制は、明治以来、本質はずっと変わらない。科挙では、ある一族に秀才がいると、一族郎党で生活と勉学の金銭援助をし、しりをたたいた。運よく受かると官職や巨額利権の分配で一族の出資者は大きなリターンを私的に得た。基本形は日本のキャリア公務員制度も同じ。受験秀才度合いの大きい人たちが一種の特権身分を形成して私的に奴隷労働の元を取る。そんな制度が健全なはずがない。役人の評価基準は、世間や政治の批判を浴びずに、政策の筋の実現もさることながら、互助組織の利益をどれだけエレガントに図れるか、であるともいえる。必ずしも公共の代弁者としての人格のみが評価されるわけではない。それは、終身雇用に加え、人生をすべて官庁の斡旋に依存するからだ。

政権が代わったら幹部官僚も野に下る、ということになれば、組織利益を図る動機付けを持ちようがない官僚集団になる。終身雇用を変えるしかない。定年延長は意味がない。早めに肩たたきされる人が大半なのだから、そういう人たちの多くは権力と身分保障の巣窟に長くいることができるからかえって嬉しいに決まっている。国庫からの人件費支出も膨大になる。

官僚には、組織の私的利用ないし公金無駄遣いがまま見られる。随意契約で巨額の金を外国の、地元の人々に必ずしも喜ばれなかったり、そもそも稼動していないダムや発電所などのインフラ投資に配り続けていて、そのコンサルや建設受注会社が官庁高官OBを受け入れる、などだ。官僚と特殊なつながりをもった私的組織への公金の流れをガラス張りにしなければならない。他国政府高官なども含めた利権共同体が形成されている。特に、「外交・ODAは聖域」のように思い込んで監視をしてこなかった付けが回っている。外国だから目に触れにくく、内政よりもモニタリングされにくい。不正や無駄遣いが起こりやすい。

「公務」を「公務」として公務員に遂行させる仕組みは、基本的に動機づけ(インセンティブ)のコントロールによるものでなければならない。(いまは)官僚に専門性があっても、それを発揮することは、必ずしも官僚個人のポイントにならない。専門性を価値とみなすシステムがビルトインされていない。例えば専門家が集う国際会議で恥をかくなどといっても、旅の恥はかきすてとみられがち。政治家が大所高所を判断するための素材を整理するという作業は、本来分野ごとに相当の知見の蓄積を必要とする高度で専門的なもの。「専門性」を、官僚の組織的私的利益に発揮することよりも、「国民利益」のために発揮することが、その官僚にとっても確実に有利になるような、インセンティブコントロールの仕組みが、人事や処遇にビルトインされていなければ、「公務員は志を持て」などという精神訓話をいくら唱えても効果はない。今は本来有能な官僚に逆のインセンティブを与えている。

キャリア官僚は、長い間、いわば「宴会の幹事」に近い役割をさせられてきた。いわゆる「ロジ」。利益集団の利害調整など事務処理の調整役。実質(サブスタンス)は必ずしも詰まっていないのに加え、見えないところで国民利益とかけ離れがちだった。むしろ、政治家にも利益誘導せよ、という政治や、強大な政治的影響力を発揮できる特定利益集団と、机の下で握手して、ごく普通の市民や企業の利益そっちのけで、声の大きい主体に公的権力と資金が重点投入されてきた。

大学を出て、自らが経験したこともない複雑な経済社会のプレーヤーを統べる権力をいきなり持ってしまい、それを個人のおもちゃのように振り回してしまう官僚は多い。無邪気な受験秀才集団が、そのまま政策立案部門にずっといる、という人事の仕組み自体がおかしい。社会人経験もない、精神的子どもも多い。格差の実態も知らないし、ビジネスや、法施行の最前線にいたこともない。所管分野の実態すらほとんど知らない官僚がいかに多いことか。それが、天下国家を治めているつもりでいる。実社会を、自らもプレーヤーとして知った人でないと、政策立案や法案づくり、予算編成には向かない。キャリア制終身雇用は、専門性を求められ、権力をコントロールしうるがゆえにこそ、かえって政策立案に関わる官僚や裁判官の任用制度としては、本来なじまない。インセンティブの発揮の方向も歪みがちだ。

政権交代が定期的にあることがより望ましい前提だが、弁護士、研究者、ジャーナリスト、企業経営者などから、政策立案の専門性を持つ人を、短期的に政権内部に投入することでこれまでのキャリア官僚の役割を肩代わりしていくべきだ。


――公務員制度は今後、どのように設計していくべきだと考えますか。

福井 政策立案部門のキャリア公務員は、短期任命しかない。任期は基本的に政権と命運をともにし、長くとも3~5年以内にする。(そのようにすると)公務員に優秀な人材が行かなくなる、とも言われるが、米国の連邦政府高官には、現実に多くの場合最良の外部人材を集めてきている。仮に間違ったら、次の専門家集団が立て直す。これを見習うべきだ。内部マネジメントや利害調整(のみ)にたけた人が上位に昇進するという慣行がおかしい。ロジ重視は多くの官庁の人事にも反映されている。

政策立案においては、行政の権限発動や、私人間の契約などを律する法令など、すべて裁量の極小化を目指すべきだ。誰かがコネや権力を使ってうまく立ち回ったら得する、という要素が、権力行為や公金投入に関しては、一切混入しえないようにすることが、憲法秩序の求める基本的な要請でもある。(だから)政策立案に関わる官僚、少なくとも責任者は外部から、かつ短期で任用すべき。内部昇進して、辞めた後の再就職のことが気になる立場の内部の職員には、自分たちの組織の裁量をなくして自分たちや組織の利益を温存しにくくするように仕事をする動機が生じようがない。

段々とでいいが、例えば、3年経ったら局長以上の3割、5年経ったら5割を外部から任用する。一定の年限以内に10割とする。外部から、政権の任務と国民利益の追求にのみ従属する、国際会議や学術的討論にも通用する専門家を連れてくる。そして、大局判断するのは政治、と分業するようになればいい。ところが、そこまでの覚悟がこれまでの政治には見当たらない。

現実的には、今いる人(現在の官僚)は(身分を)保障する。ただし、課長補佐が局長になれるのは、今より低い確率にする。本来有能な人たちだから権限や予算を背景にせずとも民間で十分やっていける。一方、Ⅰ種公務員の新規採用は一刻も早くやめるべき。足りない分は民間任用すればよい。

米国の官僚や専門家集団の短期任命も、アウトソーシング。一級の人材、例えばノーベル賞クラスの研究者、高額所得で活躍する弁護士・経営者なども、必ずしも高給でなくとも適切な処遇と役割を用意すれば十分集められる。彼らは薄給で、しかも政権が変われば簡単に身分を失うが、政策の最前線で活躍した経験と知識、そこでの豊富な人脈などを買われて、また一流の企業や研究機関に高給で雇われ、重要なポストに就く。このような好循環が合衆国の強みだ。日本の公務員の民間での再就職は、ほとんどの場合、元いた組織の許認可や行政指導の権限や予算で庇護を受けている民間や半官半民の企業へのものだ。人事当局の斡旋も、その個人に権限がなくなっても、組織的な庇護が持続することを前提にしているから成り立つ。米国の高官は、組織の権力の継承を前提とした「○省一家」の庇護などありえない。能力が組織で磨かれ、それを買われることがあるにしても、権力・予算行使との取引などによって次の職を得たら犯罪だから、日本のように、個人に蓄積した能力とは関係のない職の獲得は不可能。

日本では、霞ヶ関は政策に関する最高のシンクタンクではない。目的が違う。大きな部分で、特定政治家や特定業界、さらに自らの組織とそこに帰属する公務員の利益を図らざるを得ない。米国は、官の内部に永続的な帰属集団がなく、その庇護もないから、政権のミッション以外の私的利益を持ち込む動機付けが生じようがない。○省のことをおもんぱかることにメリットがないから、私的取り分に回る部分がほとんどない。

英国は、公務員組織が永続的な集団である点で日本と同じだ。終身雇用だから国民利益を実現する際の抵抗勢力になりうる。サッチャーやブレアみたいな強力な指導者でも公務員組織の抵抗で改革に苦労した。公務員制度は米国型の方が優れている。フランス、ドイツも公務員の終身雇用に問題がある。例えばドイツの連邦政府では、ある幹部公務員ポストに誰かが就くと、本人が辞職しない限りそのポストに任期なく居座り続けられる。場合により、能力も専門性も高い者により優れた行政が行われるが、逆の場合は悲惨なことになる。

日本の権力機構に対する認識と対処は、未だ人権宣言の歴史に十分学んでいない。権力は持ち続けたら独善と腐敗に陥る。今の任用制度のままだと、行政公務員の権力は政治の権力より危ない。誰が上にいても大丈夫。政治家の指揮を心から受け入れる公務員はあまりいないはずだ。科挙的弊害の現代版が日本の公務員制度。これを解消しないと、国民の利益は守りにくい。

基本的に、誰が先導しようと、徳治主義ではダメ。モラルに頼る発想は失敗する。モラルや徳、人間の行動原理は全世界一緒。権力分立を図るだけでなく、行政、司法のいずれについても、身内で人事を完結させて、キャリア制を維持する限り、目標に歪みがもたらされるのを防ぐことはできない。特定人や特定集団が権力行使し続けることを許さない仕組みが必要。


――日本には転職市場がないから、米国流のやり方は無理だという見方もあります。

福井 米国は、連邦政府に入ったら、去るときにもっと高処遇や高給で引き抜かれる。必ずしも元の職場に戻るわけではない。人脈や政府内での経験を買われる。日本でも、政府人事の基本が変われば、権限に着目して、個人としては必ずしも業務に向いているわけではない官僚OBを、お上の意地悪を回避する「保険」として受け入れるのではなく、個人の能力、識見を買われる健全な再就職市場が確立されるようになる。差し当たりは、本当に優秀な人材を選りすぐり、(政府に人を出す)大きな組織は、現職復帰を保証すればいいのではないか。

ただ、そのためにも、官庁がロジの集積を本務としているままでは、後に民間でさらに評価される人材には育たない。現在のような役所の調整業務は、汎用性がない。政策立案の本質で能力を発揮させる業務形態への抜本的転換が必要。学部を出て、そのまま大きく成長しうる優れた人材を、場合によりよそでは使い物にならなくしている公務員人材養成システムは、残念としかいいようがない。

朝日新聞ご購読のお申し込みはこちら

世界のどこかで、日本の明日を考える 朝日新聞グローブとは?

Editor’s Note 編集長 新創刊のあいさつ

このページの先頭へ