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[Webオリジナル]インタビュー 判事たちの声を聞け

[第1回] レッドベター訴訟判決をどうみるか

マイケル・クラーマン ハーバードロースクール教授(憲法)


最高裁の少数意見には、それを書いた裁判官たちの思想や個性が色濃く映し出されている。判事たちの「肉声」をどう聞くのか。米連邦最高裁に詳しいマイケル・クラーマン教授に、反対意見の意義や判事の生活などについて聞いた。
まず、男女の賃金差別を巡って争われたレッドベター訴訟の最高裁判決を題材に、ギンズバーグ判事の反対意見をどう見るか。クラーマン教授は、連邦控訴裁判所でギンズバーグ判事のロークラークを務めていた経験もある。
(09年10月18日、米マサチューセッツ州ケンブリッジで。聞き手・宮地ゆう)


――レッドベター訴訟の判決をどうご覧になりますか。

マイケル・クラーマン教授。ボストン・レッドソックスの熱狂的なファンでもある=宮地ゆう撮影

クラーマン レッドベター訴訟の判決が出たとき(2007年5月)は、ブッシュ政権下で政治的にも非常に保守化していました。企業側の権利が擁護される判決が出ることが多く、中でもレッドベター判決は多くの人がひどい判決だと感じたものでした。そもそも、最初に給料をもらって180日以内に自分が差別されていることを知ることができる人なんてほとんどいないのではないでしょうか。


――ギンズバーグ判事の反対意見についてはどうご覧になりましたか。

クラーマン ギンズバーグ判事は、1970年代にはすでに女性の権利擁護の急先鋒として知られており、これまでにも法廷の内外で女性の権利などについて積極的な発言をしてきた人でした。

私はギンズバーグ判事が連邦控訴裁判所の裁判官をしていたとき、彼女のクラークとして働いた経験がありますが、彼女は何かに非常に憤りを感じてメッセージを発したいときには法廷で自ら意見を読み上げることがありました。レッドベター訴訟の判決のときにも法廷で反対意見を読み上げ、怒りを表していました。

その判決から1年8か月後にオバマ大統領がレッドベター平等賃金法に署名して、公民権法が修正されることになるわけですが、ギンズバーグ判事の反対意見だけが、公民権法の修正を促したわけではないと思います。彼女の反対意見がなかったとしても、「180日ルール」を撤廃すべく政治家は動いていただろうし、あの反対意見がどの程度政治の背中を押したのかを検証することは難しいからです。よく、反対意見が出ると、それが政治に直結するかのようにとらえる人もいますが、反対意見の力を重く考えすぎるのも考えものだと思います。


――ロークラークの仕事について教えて下さい。

クラーマン 私がギンスバーグ判事のクラークをしていたのは彼女が連邦控訴裁判所にいた1983~84年です。まず、クラークは意見書の第一稿を書くように言われます。こういう論理でこういう結論を、と方向性を示され、それに沿って書いていくわけです。相当書き直しさせられて、時には私が書いたものは原形をとどめないくらいに、全部書き直されてしまったこともありました。また、「ベンチメモ」と言われる、口頭での議論の下書きもロークラークにやらせる裁判官もいます。ただ、彼女は全部自分で書いていました。他には講演の準備や判例のリサーチ、下調べなどもやります。


----判事はどんな毎日を過ごしているのでしょうか。

クラーマン 昔は、多数派を形成したいと思う判事が他の判事を毎日ランチに誘い出し、議論を戦わせたというような時代もあったようです。1930~50年代などはそんな時代だったらしい。ただ、今は講演や海外の判事との交流など、イベントや仕事量が多すぎて時間がなく、たいていのことはメールやメモのやりとりで過ぎていきます。そもそもスティーブンス判事(最高裁で最長老の89歳)のようにフロリダに住んでワシントンと行ったり来たりの生活をしている人もいます。

私は最高裁のクラークの経験はないので正確なことは言えませんが、最高裁では判決を巡ってやりとりするときには、直接会って多数決を得る交渉をするようなことはあまりなく、ロークラーク同士に話をさせることも多いようです。私がクラークをしていた時には、ギンスバーグ判事は誰ともランチに行かず、仕事をしながら自分の部屋で食べていました。たまにお茶に人を呼ぶこともありましたが、それすらまれなことだったと記憶しています。
 
――最高裁は社会の変化や個人の価値観に左右されず、純粋な憲法解釈に徹すべきだという人もいますが、どうお考えになりますか。

クラーマン 純粋な憲法解釈といっても、個人の価値観やものの考え方が解釈に反映されないはずがありません。もちろん、客観性はとても重要なことですが、個人的な信条から完全に離れられることは無理だと思います。スカリア判事のように、憲法原理主義的な見方をする人もいますが、そういう人でも非常に揺れが大きいことがあります。憲法の厳格な解釈をすると言っても、時には直接憲法に書かれていないことを判断しなければいけないことも多く、そんなときには自分の価値観を含めた解釈で判決を書かざるを得ません。スカリア判事は言葉を巧みに使って判決を書いていますが、自分の価値観に縛られずに解釈をしていることはあり得ないと思います。

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