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07年、リリー・レッドベターの訴訟の米最高裁判決で反対意見を書いたルース・ギンズバーグは、この事件は最高裁が最終決定すべき憲法違反かどうかの問題ではなく、法律の条文をどう解釈するかの問題で、議会が変えられるものだとした。

そして、「ボールは議会の手にある」と言った。
確かにその通りだった。議会は最高裁判決を覆し、差別されている給料を受け取るたびに、「180日」という時計はリセットされる、としたのだ。こうして、リリー・レッドベター平等賃金法は、オバマが大統領に就任して9日後に署名した最初の新法になった。
ギンズバーグは「(立法という)結果はまさに私が意図したものだった」と語った。
反対意見がここまで早く功を奏したのは、米最高裁の歴史でも珍しい。
1896年に最高裁が人種隔離を認めたプレッシー対ファーガソン事件の判決のなかで、判事ジョン・マーシャル・ハーランがたった一人反対意見を述べた例のように、最高裁や国がある問題に別の光を当てて見られるようになるまでに長い年月がかかることが多い。この例では、1954年のブラウン対教育委員会事件で最高裁が全員一致の判決を出すまでは、政府が押しつけた人種隔離が、憲法の保障する平等に違反しているという判断はなされなかった。
30年代に長官だったチャールズ・ヒューズは最高裁の反対意見の役割について、「様々な意見をじっくりと考える法の精神、そして未来の知性への訴えだ」と記した。
反対意見を述べる判事は辛抱強くなければならない。56~90年に最高裁に在任したウィリアム・ブレナンは、死刑は憲法違反だと考えていた。彼は最高裁が死刑を支持するたびに反対した。
72~76年の短い期間を除き、彼が多数派になることはなかった。それでも彼は主張し続けた。彼は、自分の姿勢を「いこじ」「うんざりする」「現実離れしている」などと見る人がいると知っていたが、自分はもっと高い責務に応えているのだと説明した。彼は「判事は法の解釈が本質的な意味からかけ離れたと気づいたら、それを明かし、別の道を示す憲法上の責務を、社会に対して負っている」と書いた。

70~94年に在任したハリー・ブラックマンは、個人的には死刑に反対だったものの、憲法には違反しないと長年信じていた。年を取り、彼は考えを変えた。死刑判決への反対意見でブラックマンは「今日から先、死の装置をいじくり回すことはすまい」と宣言した。
当時既に退任し、老いて弱っていたブレナンは、ブラックマンに電話し、感謝の意を伝えた。
ギンズバーグの素早く功を奏した反対意見と、ブレナンやブラックマンの良心や将来の世代への訴えは、最高裁での反対意見の二つの使われ方を示すものだ。
反対意見の使われ方は他にもある。アントニン・スカリアは現代の判事の中でも精力的に反対意見を述べることで有名だ。彼は反対意見を使って、法的というよりは政治的な言葉で米国民に直接語りかけ、多数意見が大きな間違いを犯したという彼の見解を表明しようとする。
例えば08年、キューバ・グアンタナモの米軍基地に収容された者たちは、連邦裁判所に解放を申し立てる権利がある、と最高裁が判断した際、スカリアは、この決定が「悲惨な結果を招き」、「さらに多くの米国人が殺されるに違いない」と述べた。
彼はこの過激な予想の根拠を何も示さなかったが、この意見は衆目を集めた。それはおそらく、多数派を説得できなかった彼の目標だったのだろう。
スカリアが好んでするように、反対意見を述べる判事は自由に考えを述べることができ、多数派になるために他の判事と妥協するかどうかでやきもきする必要もない。
一方、最高裁の内部でほかの判事を説得することが(草案段階での)反対意見の目標であることもある。成功すれば、反対意見は公にはならない。
ギンズバーグは、昨年のインタビューで、自分で書いた反対意見で同僚2人を説得し、立場を変えさせたことがある、と話したことがある。反対意見は6対3の多数意見となった。どの事件かは明かさなかったし、最高裁の外部の人たちはだれも、彼女の意見がどのように多数派になったかを知ることはない。
判事は、見過ごされがちな問題について注目を集めるために反対意見を書くこともある。
最高裁が上告を受理しないと決めても、判事の誰かが受理すべきだと信じるときによく使われる。
最高裁は自分たちでどの事件を審理するかを決めており、上告された事件の1%しか審理しない。「何を決めるか、を決めること」が最高裁の重要な仕事で、それは国がどのような法的議論をすべきかを決定することでもある。
最高裁がある上告について審理すると同意しなければ、判例が作られることはない。
その問題は将来別の事件として最高裁に再び来るかもしれない。
上告を受理しないことへの反対意見は、弁護士たちへの呼び水の役割を果たす。
弁護士たちは、判事たちを説得しうる新たな論理によって同じ問題を最高裁に持ち込む。
例えば先月、長官のジョン・ロバーツとスカリアは、最高裁が上告を受理しなかった飲酒運転を巡る事件について反対の立場、つまり受理すべきだという立場をとった。
問題は、警察官が飲酒運転について匿名の通報を受けた場合、普通に運転しているように見えるドライバーでも止められるかというものだ。これまで最高裁の判決は、さらに何か疑いの根拠がない限り、匿名の通報で警察官が行動を起こすことはできないとしてきた。
しかし、ロバーツとスカリアの反対派2人は、米国で毎年1万3000人が飲酒運転で死亡していることを考えると、問題は非常に深刻で、判例に例外を設けることを考えるべきだと主張した。2人はバージニア州が上告したこの事件について、少なくとも最高裁は弁論を開くべきだと述べた。
この問題については、もっと多くの上告がされ、最高裁はそう遠くない将来、その中の一つを受理して判決を出すことになるだろう。そうなれば、反対意見の重要性のさらなる証しとなるだろう。
(寄稿)
(文中敬称略)