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10月17日。米国北東部、バーモント州のランドルフという人口約5000人の町で、300人以上が「彼女」の登場を待っていた。
地元上院議員の紹介で壇上に現れると、聴衆は総立ちになり、会場は大きな拍手に包まれた。
リリー・レッドベター。71歳。
米国南部・アラバマ州の工場で働いていた名もない女性はいま、全米を渡り歩き、講演をしている。開いた手帳にはびっしりと予定が書かれていた。
「ニューヨーク、カンザス、ワシントン、ニューメキシコ、シカゴ、ローマ、バージニア……全部1カ月で行ったのよ」。首都ワシントンでも「リリーだ!」と人垣ができ、サインを求められるという。
ランドルフで、レッドベターは静かに、力強く、その半生を語り始めた。

79年から19年間、タイヤとゴムを製造するグッドイヤー社の工場で働いた。
数少ない女性の現場監督。午後7時から午前7時の夜勤を週5日こなした。汗や油まみれになっても、やりがいがあった。
新しい部署の立ち上げに抜擢され、96年にはトップの業績で表彰も受けた。
98年のある日、職場のレッドベターの郵便受けに、ノートをちぎったような一枚の紙切れが投げ込まれた。
この紙が、彼女の人生を大きく変えることになる。
「3人の同僚男性の名前と彼らの給料が書かれていました」
その数字に、愕然とした。彼らの月給は4286~5236ドル。彼女は3727ドル。
同じ仕事をしているのに、なぜ自分だけこんなに安いのか。差額が積もれば、19年でどれだけになるのか。退職金、年金も考えると、どれだけ失うことになるのか。
「人間として同じ価値がないのだと思わされた。私は傷つき、トイレに駆け込んだまま、しばらく動けなかった」

女性に対する差別だと直感した。
「私はずっと子どもの学費を支払うために働いてきた。賃金の差は、子どもたちの教育の質に直結する。家族のために、何とかしなければと思ったのです」
職場では給料について同僚と話をすることを禁じられていた。帰宅したレッドベターは、州兵だった夫に国の雇用機会均等委員会(EEOC)への申し立てを相談。夫はすぐに賛成した。
98年11月、退職とともに公民権法に違反する賃金差別だとして、勤めていたグッドイヤー社を訴えた。地裁では、賃金の一部支払いを勝ち取ったが、控訴審で逆転。レッドベターは上告した。
07年5月。連邦最高裁は「公民権法では、差別が起こってから180日以内に提訴しなければならない」と判断し、訴えを退けた。提訴は遅すぎたというのだ。
評決は5対4の小差だった。
彼女は自宅で弁護士から敗訴の知らせを聞いた。「打ちのめされました」
しかし、わずかな光もあった。
最高裁で当時唯一の女性判事だったルース・ギンズバーグ(76)が、反対意見を書いたのだ。
「賃金差別を180日以内に知ることは難しい。差別は長年の蓄積で現れることもある。
最高裁はこれまでも公民権法をゆがめる法解釈をしてきた。今回の判決も、本来法が目指している職場の差別撤廃とは相いれないものだ」
ギンズバーグは多数意見への痛烈な批判を自ら法廷で読み上げた。そして、議会に立法を強く促したのだった。

当時上院議員だったオバマとヒラリー・クリントンらの動きは速かった。180日ルールの修正に向け動き出した。
レッドベターは民主党大会にも呼ばれ、時の人となった。生活は一変した。
首都の議会へ出かけ、議員の事務所を1人ずつ回って法案への賛同を求めた。
このころ、夫は四つのがんと診断され、足の皮膚を顔に移植する手術を受けた。
彼女は週の3日を首都などで過ごし、残りは家で夫の介護に専念した。市民団体が旅費などを負担して支えた。
09年1月。オバマは大統領就任後初の法案に署名した。「リリー・レッドベター平等賃金法」。名を冠された本人が隣で見守った。新法で、「差別された給料が最後に支払われてから180日以内」に提訴すればよいことになった。
支え続けた夫は前の年の末、法案の成立を見ることなく亡くなった。
彼女自身はこの法律の救済対象にはならない。しかし、「人が試されるのは、おかしいと思ったことにどう対処するか。一人ひとりが声を上げることで、将来はより良いものになっていくと、信じています」。
そう言って、講演を締めくくった。
差別を知ってから、11年が過ぎた。
「私は死ぬとき、何かを変えたのだと言われたい。そして、最高裁に言いたい。あなた方は間違っていたのだ、と」

レッドベターは自らを「偉大な敗者であり、偉大な勝者でもある」と言う。
いま、半生をつづった自叙伝も執筆している。
最高裁は、自分や差別に泣く女性たちを救ってはくれなかった。でも、その同じ法廷で、毅然と声を上げた人もいた。
「私の旅の終わりは、ギンズバーグに会うこと。彼女の反対意見が、女性たちにどれだけ大きな希望を与えたか。それを直接伝えたい」
レッドベターは、面会を申し込んでいる。
(文中敬称略)