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――中国建国60年を振り返ってどう評価しますか。
茅于軾 改革開放に踏み出してからの30年は、中国3千年の歴史のなかで最高だった。

――なぜ?
茅 お上がすべて計画し実行するのではなく、市場の力も借りながら国民それぞれが持つ力が徐々にではあるが、以前よりは生かされるようになったからだ。その上に、経済成長がある。初めの30年は実に大変だった。
――どう大変だったのですか。
茅 私は大学卒業後、50年代は東北の黒竜江省の鉄路局で技術者として働いた。当時は自分で仕事を選ぶことはできず、同級生と同様に国から仕事を分配された。そのころの東北地方は、戦争が終わって日本が去り、人材が不足していた。それで若い技術者がけっこう投入されたのだ。そういえば、日本人が置いていったベートーベンなどクラシック音楽のレコードを聴いたなあ。腐敗はそれほどなかったが、集団での生産活動がうまくいかず、農村は行き詰まった。
その後北京へ戻ったが、60年代に文化大革命が始まり、むちゃくちゃになった。毛沢東が知識分子を嫌った。私は「右派」と認定されて山西省大同の貨車工場で働いた。山東省へ送られ、小麦やジャガイモを作ったこともある。
北京に戻ったとき、家の前を掃除していると、文革を支持して学生運動を展開していた紅衛兵が誰かを殴っているのをよく見かけた。金属のパイプのような物を使っているときもあった。気持ちが寒々とした。北京の家では衣服一着1元といった安い値段で家財道具のほとんどを売り払わされた。全部で3000元だ。そういう時代だった。一定の年齢から上の中国人はそれぞれにそれぞれの30年間の記憶がある。
――そこから改革開放がスタートしたのですね。
茅 鄧小平が70年代後半に経済改革に着手した。自力更生をやめて対外開放へ踏み出した。生産や価格にも自由度を増すといった。ものすごく感激した。私の仕事も経済を研究する部門に変わっていた。「なぜ中国は貧しく、なぜ外国は豊かなのか」。80年の英国を皮切りに、米国やオーストラリアなどで研究したり、視察したりする機会を得て、そればかり考えていた。
私は、市場の力が大きいと感じた。市場は失敗もするが、政府はもっと失敗する。それは中国経済の60年の歴史をみても明らかだ。
――昨秋からの経済危機で暴走する市場の限界も指摘されています。
茅 市場が失敗したら政府が出番だ。しかし、政府はどこかで出口を作って退かなければならない。中国にとって重要なのは、市場機能をもっとよく働かせるための法治の仕組みだ。法律はたくさん作ったが、中国共産党の利益を守るために使われている。先日も農民を助けて政府を訴える裁判に取り組もうとしていた北京の弁護士が当局に拘束されてしまった。脱税を名目にされたといわれている。
ゆがんだ法治ではなく、ルールが等しく適用される法治。これが市場経済の基本だ。中国の格差は市場経済がもたらしたものではない。特権を維持できる仕組みが招いたものだ。もっと民営化を進め、計画経済の対象を狭めるべきだし、銀行からの融資などで民営企業が不利益を受けている現状を改善すべきだ。
――中国は来年にも日本のGDPを超えます。2030年代には米国を抜くという試算もある。
茅 日本の人口は中国の10分の1。規模では比べられない。中国はまだ貧しい。このままの経済構造と成長モデルで米国のGDPの規模を抜いたら、資源や環境で大変な問題を引き起こすだろう。地球が受容できるのか。それまでに何か根本的な変化が必要だろう。一人一人の人権を大事にすることは、その答えを導くために必要だ。今はまだ眠っている潜在的な能力も発揮される。これからの30年には、法治を実現できる政治改革が必要だと思う。
(2009年8月13日、北京で。聞き手=吉岡桂子 経済グループ記者兼論説委員)