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中国・上海市の長江岸からカーフェリーで1時間。東シナ海に注ぎ込む黄褐色の河口に、要塞(よう・さい)のようなオレンジ色のクレーン群が浮かび上がった。
「空母島」

中州に浮かぶ東西27キロ、南北数キロの細長い長興島を、地元の人たちはひそかにこう呼ぶ。この島で中国初となる国産空母の建造計画が進んでいることは、公然の秘密だ。
「動く巨大空港」は、強い海軍の象徴的存在。中国の空母保有に今、世界の関心が集まっている。
波止場に群がる干物やミカンの物売りを避けながら、「江南造船」の工場に向かった。要所の物々しい警備や記者(峯村健司)の背後に感じる尾行に、当局が神経をとがらせている様子がうかがえる。
小さな島の7%を占有する同社工場の敷地内に、ひときわ緊張感の漂う一画があった。2008年秋に完成したばかりの第3ドックだ。
部外者立ち入り禁止。警備員が念入りに身分証をチェックしている。敷地内には、白と青の真新しいコンテナとクレーンが立ち並び、銀行や体育館まである。
「安全! 高品質! 機密保持!」
午前7時半、勇ましいかけ声が聞こえてきた。約8万人の従業員のほとんどが、安徽省や河南省といった農村出身の出稼ぎ労働者だ。
採用時には、親族の前科や政治思想まで調べられる。合格後も国家秘密法を暗記させられ、「業務で知り得た事を一切口外しない」との契約書を書かされる。
敷地に入ろうとする作業服姿の男性に「空母は順調ですか」と尋ねると突然、肩をつかまれた。
「おまえ、どこのスパイだ。身分証を見せろ」
しくじった。作業員に扮した防諜(ぼう・ちょう)組織、国家安全省の職員だ。地元当局によると、工場内や周辺には約100メートルおきに配置され、情報漏洩(ろう・えい)に目を光らせているのだという。拘束されそうになったが、人波にまぎれてなんとか難を逃れた。
監視の目をくぐり、安徽省出身の40代の男性作業員と接触できた。上海市内で内装業の出稼ぎをしていた昨春、江南造船に就職。月給は3000元(約4万円)に倍増した。船体のさび止め作業を請け負っている。上司からは「大型軍艦を造っている」と告げられただけだ。
だが、ほとんどの作業員は造っているのが空母だと知っている。仲間内では「精品(チン・ピン=日本語で絶品)」という隠語を使う。「24時間監視されていることにストレスを感じる。でも、国家の威信を支えているという誇りはあるかな」。男性は白と赤のペンキがついた作業服の袖で汗をぬぐいながら、はにかんだ。
日が傾き始めた午後5時半。工場から自転車やバイクにまたがった作業員があふれるように出てきた。流れに乗ると、真新しいアパート群にたどり着いた。金網で囲われた敷地には、6階建ての宿舎が林立する。室内にはベッドや日本製エアコンも。大人数で雑魚寝をする一般労働者の宿舎と比べ、破格の待遇だ。

ふと、唐辛子とサンショウの刺激臭が鼻を突いた。路地裏をのぞくと、四川省や河南省の料理を出す屋台が立ち並んでいた。仕事を終えた労働者が、アルコール度数40度を超える蒸留酒「白酒(パイ・チウ)」をあおりながら、故郷の味を懐かしんでいる。第3ドックで見かけた5人の労働者の酒席に飛び入り参加してみた。
「今年に入って一日も休みがねえぞ」
「金融危機後、月給を300元(約4000円)下げられた」
5人は河南省の農村出身。方言交じりでくだを巻く。記者が「精品」に話題を向けたとたん、表情が険しくなった。
最年少の男性(22)が気まずい沈黙を破った。中学を中退してセメント工場を転々としていたが、技術を見込まれて採用されたという。「おれみたいな学のない農民が『精品』を造っていいのか、という戸惑いはある。でも、米国や日本にいじめられない強い国になるためには、おれの腕が必要なんだ」
「中国加油(中国がんばれ)!」。5人は立ち上がって乾杯した。中国ではさげすまれることが多い出稼ぎ労働者。だが、この島の作業員からは内に秘めた誇りとパワーを感じる。
江南造船の進出は、出稼ぎ労働者だけではなく、ミカンが唯一の産業だった上海最貧の島民にも恩恵をもたらした。
6年前、市の中心部にあった江南造船の敷地が上海万博の会場用地に決まり、移転先に長興島が選ばれた。人口の4倍にあたる約15万人の出稼ぎ労働者が押し寄せ、「空母特需」が起きた。胡錦濤(フー・チン・タオ)国家主席が視察に訪れ、4車線道路や新庁舎などが次々と建設された。
島民は、工場の清掃員や食堂の調理人などに採用された。主婦だった沈菊珠さん(45)は2年前、タクシー運転手の職を得た。月給は電気工の夫よりも高い3000元。一人娘を大学に行かせることができた。
「島民全員が『精品』を歓迎しているわ。だって、祖国だけではなく私たちの暮らしまで守ってくれるのだから」
(中国総局・峯村健司)
(文中敬称略)