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「もむ」という仕事 世界の大人も子どもも

[Part4] 自分と外界の境界をなくす装置だ

上田紀行東工大准教授(文化人類学・「癒やし」研究)


マッサージは「文化の発明」とでも言えばいいだろうか。
古くからどこの土地にでもあったようなものが、外からの視点が入ることで、その土地固有の歴史的なものと位置づけられる。そして、バリ式、タイ式などと地域の名をつけて売り出され、そこにしかない特別な文化として新たに「発明」され、広まっていく。

3人6本の手が一斉に体をもむ、プーケットのリゾート「トリサラ」の「シックスハンズ・セラピー」。90分約4万2000円(1万5000バーツ)という最高級のぜいたくだ=小杉豊和撮影
撮影協力:トリサラ プーケット リゾート

マッサージは知らない人に完全に身を委ねる行為。能動的であることを常に求められる現代人には、異質な時間だ。知らない人の前で半裸になるのも、普通は考えられない。
マッサージなら抵抗がないのは、匿名性と、お金を払ったら終わりという気軽さに一因があるだろう。
ふだんは、他人に触れられることはほとんどなく、人から大切にされている感覚も持ちにくい。家族や恋人などではない人に愛されているという感覚を得ることで、自分と外界とを隔てている境界線をなくすことができる。
人が自分に何かをやってくれると直接的に感じる時間でもある。「自分はこれだけのごほうびをするに足る存在だ」という満足も得られる。

近代は「どこにいても、人が頭で考えることは同じ」という「交換可能性」の上にあった。グローバリズムも、時間も場所も関係なく機能できることが是という価値観が前提にある。しかし、人の体は都会と山の中とでは、全く違う影響を受けるものだ。その矛盾に、人の体は悲鳴を上げている。
マッサージでは、その場にしかない触覚、におい、音、風景が重要な役割を果たす。現代人にとって、緊張状態から自分の鎧(よろい)を脱ぎ捨てる貴重な時間になっている。

「肩こり」という言葉は日本に独特だ。「肩のこる雰囲気」など、のびのびできないとか、
やりたくないことをやらされている、という場合にも使う。「ストレス」の和語ともいうべきか。
肩は、物事を考える頭と、環境の変化を感じる身体をつないでいる。自然と自分を切り離し、「我思う、故に我あり」という文化の西洋人は頭から足まで「私」。それをずっと求められると、体が自然に近い日本人は疲れてしまう。
そんな事情も「こりをほぐす店」の多い背景にあるかもしれない。

取材記者略歴

宮地ゆう(みやじ・ゆう)
1974年生まれ。
鹿児島支局、山口支局を経て社会グループ。

内藤尚志(ないとう・ひさし)
1976年生まれ。
横浜支局、経済部、特別報道チームなどを経てbe編集グループ。

柴田直治(しばた・なおじ)
1955年生まれ。
大阪社会部次長、神戸総局長、アジア総局長などを経て編集担当補佐。

小杉豊和(こすぎ・とよかず)
1960年生まれ。
GLOBE編集チーム写真担当。

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