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[Webオリジナル]製薬の未来を語る

[第4回] 「増員指令が一転、『閉鎖計画つくれ』」

長久厚・ラクオリア創薬社長


 

外資系製薬会社の研究拠点が次々と日本から消えている。07年に閉鎖が発表された米ファイザーの中央研究所(愛知県武豊町)の所長(当時)で、その後08年に独立し、ベンチャー企業「ラクオリア創薬」として研究所を再出発させた長久厚・同社社長に閉鎖の経緯や創薬の場としての日本の現状について聞いた。
(6月29日、愛知県武豊町のラクオリア創薬本社で。聞き手・清井聡)

 

ながひさ・あつし 1956年生まれ、53歳。米マサチューセッツ工科大で博士号を取得後、84年に米ファイザーに入社。87年に日本法人に移り、中央研究所長や日本法人常務を務めた。08年7月に研究所ごと独立してラクオリア創薬を設立し、社長に就任

―― 研究所の立ち上げからずっと、かかわっておられたそうですね。

長久厚 ファイザーの世界戦略の一環として、日本に創薬の研究所を立ち上げることが決まったのは85年、私が米国でファイザーに入社した翌年でした。立ち上げを支援する役割を任され、元からあった生産工場に併設する形で4~5人からスタートしました。最終的には400人程度の人員にまでなり、私も生物系の研究トップ、全体のトップと様々な立場を経験しました。主にやっていたのは消化管系、疼痛系、肝臓系の3種類の疾患の薬の研究です。


―― 研究の実績はどうだったのでしょう。

長久 薬の開発は助走期間も長くかかります。基本的な人員がそろい、研究が軌道に乗ったのは約10年たった90年代半ばからです。研究所は薬の候補品を出して開発部門に委ねるのですが、そこから閉鎖までの10年間は毎年3~4の候補品を出していました。1人当たりの生産性、使った金額からみた生産性を考えてもファイザーの世界標準の1.5倍から2倍はあったと思います。人材もトップクラスがそろっていました。研究部門の採用は1000人~1500人の修士、博士らから10人ぐらいを選抜していましたからね。

 

―― 閉鎖の方針はどのように告げられたのですか。

長久 06年11月に現在のキンドラーCEOや世界の研究部門の幹部が愛知に集まり、研究の進捗をレビューしたんですよ。その結果が評価され、「創薬部門を100人増やすから計画をつくれ」と、うれしい連絡もきました。

ところが、翌12月初め、米本社が(世界での売上げが1兆数千億円ある)高脂血症薬「リピトール」の後継薬について開発を断念することを発表しました。翌年に特許切れする降圧剤「ノルバスク」の5千億円前後も含めると2兆円近い売上げが消えかねない。そういった状況下で、12月末に研究部門のトップから電話がかかってきました。まず、言われたのは「今年は有望な候補品もいくつも出て、いい年だったね。ボーナスも弾むよ」というグッドニュース。その次のトピックが「リピトールの後継薬の開発に失敗した。世界で5つの研究所を閉める。愛知もその対象だ。閉鎖計画をつくれ」という話でした。

主力薬の特許切れの影響は何かしらあるだろうと議論はしていました。しかし、日本を完全に閉めるという案はそれまでなかった。「増やせといったばかりではないか」とも主張しましたが、「グローバルな戦略決定だ。そういう次元の問題ではない」という答えが返ってきただけでした。


―― なぜ、日本の研究所は残らなかったのですか。

長久 本社の判断は研究開発の領域の絞り込みと、1つの領域は1つの研究所にまとめるというものでした。日本が手がけていた消化管系の研究からは撤退し、疼痛領域は英国の研究所に集約し、肝臓領域は米国に移管すると。今までは複数の研究所で同じ分野の研究を、いい意味で複眼的にやっていた。経営判断が速いのが米国流ですから、先行きが暗くなった以上、一気に研究所を集約するのは合理的なのかもしれません。ただ、日本にいる者の立場から言えば、オペレーションコストをカットするだけで、日本という世界第2位の市場でどういったビジネスを目指すのかが見えず、正直疑問を持ちました。ファイザーは事業ごとのビジネスユニットで動いており、研究所のことは研究所が決める仕組み。そのため、ローカルマーケットのことは二の次になったのかもしれません。

 

―― 07年1月には、正式に閉鎖が発表されました。

長久 日本の雇用環境からいっても400人全員をいきなりクビにはできません。海外の研究所や日本法人でどのくらい吸収できるか、また、どのくらい他社に移ることができるかを考えました。他社の採用部門も回って再雇用をお願いしましたが、やはり全員の雇用を確保するのには、新しい会社をつくらないと難しかった。07年3月に日本法人の社長とニューヨークを訪れ、キンドラーCEOと直談判しました。新会社の設立も含めて従業員の雇用確保に努力する案を説明し、「全力を尽くしてくれ」とお墨付きをもらいました。その後、労使の話し合いもなんとか折り合いがつき、新会社を自分でやろうと最終的に決めたのは07年の秋頃です。研究者や事務部門も含めてバランスがとれた人材が残ってくれたのは本当に幸運でした。

 

―― そして、「ラクオリア創薬」を08年夏に立ち上げました。

長久 国内外の投資家やファイザーから100億円超の出資をうけ、15の開発候補品の権利を買取りました。うち3つはすでに海外で製品化されているか、製品化間近で短期的な収益が見込めるもの。これらの製品化を日本で進めながら、残りの研究開発を進めていき、有望な候補品を製薬企業に買ってもらうというビジネスモデルです。新会社は、ファイザーから移った約70人でスタートしました。社長の私も一人の研究リーダーで、上下関係のないフラットな組織にしました。大きな組織にはどうしても部門ごとの壁ができますが、本来、イノベーションは組織の外にあるはずです。組織内の評価より、顧客価値の創造に専念できるのがベンチャーの強みです。

 

―― ファイザーだけでなく外資系の大半が日本の研究拠点を閉めています。創薬の場としての魅力が薄れているのでしょうか。

長久 日本の創薬の力、研究者の質は高い。しかし、残念ながらそれを生かし切れていないのが実情です。基礎研究の力はあるが、いざ、薬にしようとすると、臨床開発の費用が高かったり、時間がかかったりといった現状があります。行政も関連予算を増やしてはいますが、民間にはなかなか届かない。ベンチャー企業も失敗・破綻などが相次いでいるため、「業界に漂う閉塞感を打破して欲しい」と、どこへいっても言われます。成功例を一つでも増やさなければならないという責任感は強く感じています。

 

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