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日本メーカー、エコカーに活路探る

[Part1] 三菱、電気自動車に社運賭ける(1)

赤のボディーに白いドア。卵のように丸くて、かわいらしい外観。

経営計画の発表と社長就任で記者会見する益子修・三菱自動車社長=2005年1月28日、東京都内

この小型車の後部座席に、ダークスーツを着た身長178cmの男が座る。今年還暦を迎えた三菱自動車社長、益子修だ。
大企業の社長車と言えば、黒塗りの大型セダンだが、益子は自らの会社が開発した「iMiEV(アイミーブ)」に乗り、ビジネスに飛び回る。
7月から法人向け中心に売り出す電気自動車だ。初年度は2000台の販売を見込む。
珍しがられて交差点で写真を撮られたこともある。会合でホテルに行くと、従業員から業務用車両と間違えられ、来客用の駐車場に入れなかったりもした。

ある客から聞かれた。「電気自動車って、雨で感電しないのか?」
「まさか」と答えながら、一般の人にはほとんど理解されていないことを実感した。
「安心して乗ってもらうためにも自分で試そう」。この1年半、走った距離は約6000kmになる。
世界的な不況で、業界は経験したことのない販売不振にあえぐ。三菱も2月の世界生産の実績は前年同月比65%減。2008年度は600億円の純損失に陥る見通しだ。
その中で、他社に先駆け、社運を賭けて電気自動車の販売に踏み切る。

どん底からの出発

5年前に遡(さかのぼ)る。益子は三菱商事の自動車事業本部長から、三菱自動車に常務として転籍した。リコール隠しやトラックの欠陥による死亡事故などで、消費者の信頼は地に落ちていた。親会社のダイムラー・クライスラー(当時)が支援を打ち切り、代わりに三菱グループが救済に入った際に送り込まれた。

その後も業績は悪化し、倒産の危機に瀕(ひん)する中、05年1月、益子は社長に昇格した。

記者は当時、その三菱自動車の取材を担当していた。再建計画を掲げての就任会見が記憶に残る。
「魅力ある車を造りたい。活力がある限り再生は実現する」
言葉は力強かったが、資金は乏しく目玉になる新車もない。正直、本当に大丈夫なのか、と思った。

電気自動車iMiEV=三菱自動車提供

社長になった益子は、社内の技術を徹底的に洗い出し、70年代から電気自動車開発の蓄積があることを知る。ガソリンと電気モーターの両方を利用し、トヨタ自動車などが実用化したハイブリッド技術に比べ、一般の車としての成熟度はまだ低い。

電気自動車の開発にはカネがかかる。目先のリストラに専念すべきかどうか迷ったが、「新しいことに挑戦しない方が会社は駄目になる」と舵(かじ)を切った。
来年には海外を含めて5000台。3年後には1万台以上を売る計画だ。「20年には生産量の15~20%を電気自動車やプラグインハイブリッド車に」ともくろむ。
乗り越えるべき壁は価格だ。電池のコストが大きく、今後量産を重ね政府から補助金を受けても200万円程度に下げるのがやっと。「近距離用の小型車向けで、エコカーの主流にはならない」との冷めた見方もある。
ガソリン代に比べて、電気代は大幅に安いが、それでも車の所有者が元を取るのはなかなか難しい。環境に敏感な市民の心をつかめるかどうかがカギになる。

[文中敬称略]

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