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ニューデリーの南隣にある、グルガオン市の住宅街に「マジカル・メソッズ」という名の数学塾の本部がある。土曜の午前中に行くと、ビルの半地下にある教室に小中学校の生徒たちが大勢集まっていた。数学が苦手な子供もたくさん来ており、縦横に並ぶ数字を足して遊ぶゲーム盤などで数学を楽しく学ぶ工夫をしている。最大の特徴は「ベーダ数学(Verdic Mathematics)」と呼ばれる古代からの「インド数学」を教えていることだ。
塾長のプラディープ・クマール氏は「通ってくる生徒には数学が大好きな子もいるし、嫌いだから練習して上達したい子もいる。ここで練習すれば、普通の計算より何倍も速くなりますよ」と力説した。
ここを訪問したのは、数学に強いとされるインド頭脳の背景を知りたかったからだ。インドは、ギリシャも見いだせなかった「ゼロ」を発見した。いつ、だれが発見したのか不明だが、インドが数学や科学の発展に大きな貢献をした。そんな歴史と文明は、今日のIT産業の発展につながっているのだろうか。そんな関心は、インドを見ていて誰もが抱くが、なかなか名答は見つからない。

ベーダはヒンドゥー教の前身であるバラモン教の聖典だ。サンスクリット語で知識や学問を意味し、紀元前1500年ごろから同500年ごろにかけて編纂(へん・さん)されたインド最古の文献である。呪文のような言葉で古代インドの神話をはじめ、社会全般にわたる知恵や慣習などの情報が満載されている。4種類あるベーダの中でも「アタルバ・ベーダ」という文献に多くの科学知識が収録され、そこに数学についての公式や計算法も多く記されているという。ちなみに、このアタルバ・ベーダのうち医学にかかわる部分が抜粋されて体系化されたものが、日本でも知られる「アーユル・ベーダ」である。
この塾で生徒に教えているのは、ベーダに記載された数学の知恵をもとに考案された計算法だ。「スートラ(教え)」と呼ばれる16の手法を問題によって使い分けていく。日本の義務教育で習った数学とは明らかに違う。それこそ塾の名前の通り「マジック」のように解いていく。
その一端を見てみよう。
例えば、35の2乗の解を求める場合、答えの下2けたは、1の位の掛け算、5×5=25とし、その上のけたは10の位の数字(3)とそれに1を足した数(4)を掛ける(3×4=12)ことにより、解1225を導き出す。2けた同士の掛け算のうち、1の位を足した数が10で、10の位の数が同じ場合の計算法だという。25×25や34×36も、同じやり方で答えがでる。
この応用編もある。36の2乗を解く場合、(35+1)×(35+1)=35×35+35+35+1と考え、1225+71=1296と解く。数字を分解しながら一定の定理をどんどん応用していくのが要領らしい。
また、2けたの掛け算では、たすき掛け算という手法もある。例えば12×32の場合、1の位は2×2=4、100の位は1×3=3とし、その間の10の位はたすきがけで掛けたものを足し合わせ、2×3+1×2=8とし、384と解いていく。
試しに10歳の少女に2けたの掛け算の問題を出したら、暗算で次々にあっという間に解いてしまった。
「ベーダ数学の手法は、英国の植民地時代に西洋数学が入ってくると、学校教育の表舞台から押し出され、消えうせてしまった。しかし、一部の人々の間では脈々と受け継がれてきたようです」とクマール氏はいう。
「一部の人々」とは、カースト制度の中で最高位を占めるバラモン階級のことだ。バラモンは司祭階級にあたり、祭式をつかさどるほか、教育者や研究者など知的職業を担ってきた。抽象的な思考に強く、インドの思想哲学や学術研究に大きな役割を果たしてきた。数学についても、バラモンがひっそりと引き継いできたのだという。
インドで有名な天才数学者、シュリニバーサ・ラマヌジャン(1887~1920)もバラモン階級の出身だ。貧しい家庭の生まれだったが、英国の数学者が驚くほど多くの数式を発見した。インドではバラモン階級から多くの優秀な科学者が輩出しているという。

ベーダ数学は20世紀初頭にも復活させる試みがあったが、その時は実現しなかったという。クマール氏は、その本格的な復活を狙って1988年ごろからベーダの原典の解読など研究に努め、何冊も教科書や参考書を出版。そのうちの2冊は和訳し、「インド式速解術」「インド式秒算術」の名で出版した。
クマール氏が塾を展開しているのも、ベーダ数学の普及のためだ。05年から各地にフランチャイズ方式で展開しており、すでにインド全国で70カ所の塾を開き、生徒は計1万人近い数に増えた。カナダ、フィンランド、アラブ首長国連邦など国外にも塾を開いている。
もっとも、数学の専門家の間ではこのベーダ数学に異論もある。
日本在住のインド人教育者で、「インド式かんたん計算法」など日本語の著書があるニヤンタ・デシュパンデ氏はいう。「ベーダは多くの科学技術について貴重な知識を提供しているが、計算法まで示しているのか、明確でないのです」
だが、デシュパンデ氏も、マジカル・メソッズと同じような計算法を家庭で学び、数学が得意になった経緯がある。先祖代々、教育者が多い家系だが、主に教えてくれたのは、小学校しか卒業していない祖母だったという。
インド式の数学や計算法の起源や歴史はいまひとつはっきりしない。だが、人々の間で脈々と、伏流水のように流れ、引き継がれてきたようだ。
(編集委員・竹内幸史)