
インターネットの普及から10年余。仕事や暮らしに欠かせないメディアへと急成長したネットは、新聞や雑誌、放送など、伝統的なメディアがすみ分けてきたさまざまな物理的な垣根を次々と突き崩してきた。
まず、活字と映像という区分け。ネットは二つを融合し、リアルタイムで情報をユーザーに送り届ける。
ブログや動画配信といったサービスが広がり、情報の受け手は送り手になり、送り手は受け手となった。ネット空間では、紙幅や放送時間という物理的な情報量の制約もなくなった。
グーテンベルクが活版印刷を発明して以来の「情報爆発」といわれる媒体の出現に、どう向き合うのか。
デジタルメディアに積極的にかかわってきた作曲家の坂本龍一は、それぞれのメディアのつくり手にとって、以前にも増して「プロであることの意味が問われる時代がやってきた」とみる。

ユーザーこそが主役という意味で、ネットはある種の「民主化」をもたらした。一方で坂本が実感したのは、ネット上に無料のコンテンツがあふれた結果、一つひとつの商品価値が下がっていくという現実だったという。
圧倒的多数に好まれるものをつくれる人だけが、それを生業にできる。 「僕も、もう少し遅く生まれていたら音楽では食べていけず、口うるさい古本屋のオヤジになってブログを書いていたかもしれない」
博報堂DYメディアパートナーズメディア環境研究所長の榊原廣(47)は、これからの情報の送り手にとってのキーワードは「自分も消費者のひとりという視点をもち、一人称で考えられるかどうかだ」と言う。
「ネットか、テレビかといった<伝達経路>にこだわるのは、送り手側だけ。 若い人たちは、おもしろいと思えば、テレビだろうが雑誌だろうが携帯サイトだろうが、情報を取りにいく」
情報の送り手、受け手というピラミッド構造が崩れ、フラット化した世界では「あえて偏りをつくる力が重要になる」と考えるのはアスキー総合研究所長の遠藤諭(52)だ。
ごく少数の人が持つ情報を自分たちも知りたい――。そんな大勢のニーズを原動力に、伝統的メディアは発展してきた。だが、ネット上を情報が自由に行き来する今、20世紀的な「大量生産」モデルは必要なくなった。「これからのメディアが持つべき力とは、<価値観の違い>を、そこに集うコミュニティーとともに生み出せるエネルギーの渦のようなもの」だという。
東京大学教授の石田英敬(55)の見方は少し違う。「個人が好きな情報しかとりにいかない」社会だからこそ、「<欲しくない情報>も含めて、ちまたにあふれる情報を編集し、<知るべき情報>として再提示できる力」がメディアの存在意義になる、と指摘する。
いずれにせよ、そうした過程では厳しい競争によるメディア淘汰が進む。
「紙」をやめたクリスチャン・サイエンス・モニターのエンマは言う。
「メディアをとりまく環境は変わり続けるだろう。次にどうなるかは、誰もわからない」
メディアの「メルトダウン」は、まだ序章にすぎない。
(文中敬称略)
