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サイドストーリー ブロッコリー物語

世界を駆けめぐった日本企業発のブロッコリー

世界を駆けめぐった日本企業発のブロッコリー
1980年代、カリフォルニア州でのブロッコリーの普及活動の様子。ブリーダー(育種担当者)が現地の農家に直接説明した(サカタのタネ提供)

日本の野菜の品種改良技術を、世界のトップレベルになるまでに鍛えたのは、夏は高温多湿、冬は寒さが厳しいという、四季のはっきりした気候だった。それぞれ野菜には<旬>があるのに、スーパーマーケットにいけば、1年中おなじ顔ぶれの野菜がそろう。産地が北から南へと移動しているだけではない。それぞれの土地や季節に合わせて、あるいは収穫期をずらすように、たくさんの種類のタネが開発されているのだ。

健康ブームを背景に、緑黄色野菜として売れっ子になったブロッコリーは、そんな品種改良の戦後史そのもの。今では世界シェア50%を占める「サカタのタネ」(本社・横浜市)に、ブロッコリー種子の歴史を聞いた。

ブロッコリーの原産地は地中海沿岸だ。日本には明治期に入り、第2次大戦後は進駐軍用として栽培されていた。戦前からカリフラワーを手がけていたサカタは、「10年後には日本の食卓も西洋化しているだろう」と予想。1960年ごろから、ブロッコリーの品種改良に取りかかった。育種を重ねてハイブリッド(F1)種子を売り出したのは10年後の1970年だった(ちなみに、F1ブロッコリーの第1号は1963年のタキイ種苗製である)。

並行して、すでにブロッコリーが普及し始めていた米国にタネの輸出を始めた。ブロッコリーは鮮度が落ちやすいのが欠点だが、米国にはすでに冷蔵輸送のインフラが整っていた。氷詰めのコンテナでトラック輸送することで問題はクリアできた。次に問われたのがタネの質だ。日本でタネを取ろうとすると、梅雨時に重なってしまい、品質が安定しない。それでは、と米国の乾燥地帯・アリゾナで生産を始めたことが、1977年の現地法人設立につながった。

ブロッコリーはビタミンCが豊富なこともあり、健康に敏感な時代の波に乗った。冷凍しても味が落ちないことも、大衆野菜として米国で広まる要因になった。ブロッコリーの作付面積を倍増させるほど成功を収めたサカタは、1980年代に新品種「マラソン」を投入。F1が始まる前の4倍の収量を得られるとあって、今でも栽培農家には人気だという。

1990年代に生まれたブロッコリーの進化形が「ブロッコリーニ」だ。暑さに弱いブロッコリーに中国のカイランを掛け合わせ、真夏に耐える品種を目指すなかで生まれた。ひょろりと細長く、茎を食べるブロッコリーといった感覚。くせのない味わいに加え、皿に盛ったときの見栄えのよさ、捨てる部分の少なさなどから、大都市の高級レストランなどに売り込み、シェフたちの目にとまった。イタリア料理にも中華料理にも使える汎用性が受け、イギリス、オーストラリアと飛び火して、日本には逆輸入の形で入ってきている。

このブロッコリーニは、収穫期間が長く楽しめ、「アスパラガスみたいな味もいい」と、日本では家庭菜園の愛好家からの反応がいい。野菜の作り手は農家だけではない。農家や市場を向きがちだった種子会社が、消費者に近づこうとしている。

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