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映画クロスレビュー

[第127回]『カフェ・ソサエティ』

米国の黄金期 恋の狂騒

Photo by Sabrina Lantos
©2016 GRAVIER PRODUCTIONS INC

(公式サイトはこちらからどうぞ)




みどころ

舞台は1930年代の米国。ニューヨークの地味な青年ボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)は映画業界の大物エージェントの叔父フィル(スティーヴ・カレル)を頼り、世界恐慌をよそに黄金時代を築くハリウッドへ向かう。ボビーはフィルの秘書ヴォニー(クリステン・スチュワート)のとりこに。ヴォニーはつれないが、彼女の失恋を機に親密になり、ボビーは結婚を思い描く。だが彼女の元恋人が思わぬ人物だとわかり、狂騒曲が展開されてゆく。(2016年、米、ウディ・アレン監督、全国順次公開中)





Review01 樋口尚文 評価:★★★▲(満点は★4つ、▲は★半分)


洒脱に描く都市の夢と愁い評価


ニューヨークのロシア=オーストリア系ユダヤ人家庭に生まれたウディ・アレンにとって、同じくニューヨークのポーランド系ユダヤ人家庭に生まれたジェシー・アイゼンバーグは(背格好も似ていて)かっこうの分身という感じである。


ただし、本作で描かれる華やかなりしニューヨークは1930年代。アレンの生まれたのは35年なので、この時代はまだ子どもでぼんやりと覚えているに過ぎない頃のことだ。おかしな置き換えをするなら、60年代に生まれた日本の監督が、幼少期にかすかに覚えている高度成長期の元気な「三丁目の夕日」的世界を撮るような……そんな理想化の気分に近いかもしれない。


だから、ここに描かれるニューヨークとハリウッドの虚飾のエンタメ業界も裏街道のギャング業界も、ろくでもない人物ばかり出てくるがやたら明朗で元気がいい。要はこれは辛うじてその残り香を知るアレンが、むちゃで活気ある都市の黄金期を礼賛するファンタジーなのだ。だが、そこに湿気の多いノスタルジーはなく、ほのかな憂愁漂う幕切れもさらりと洒脱(しゃだつ)そのものである。


成長株の女優を自分流に料理することでは人後に落ちぬアレンが、クリステン・スチュワートとブレイク・ライブリー扮するヒロイン(ふたりのヴェロニカ!)の競演をいとも愉(たの)しげに見つめている。また、アレンともどもこれが初のデジタル作品という名匠ヴィットリオ・ストラーロの撮影は、デジタル映像にフィルムの滋味を見事に移植してみせた。




Higuchi Naofumi

1962年生まれ。映画批評家・監督。著書に「大島渚のすべて」「黒澤明の映画術」「実相寺昭雄 才気の伽藍」など。映画「インターミッション」を監督。



(次ページへ続く)

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