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シネマニア・リポート Cinemania Report [#28] 藤えりか

「信仰」を撮り続ける巨匠の思い~『沈黙-サイレンス-』


表現者にとって、政治以上に反発を受けうるテーマが宗教だろう。巨匠マーティン・スコセッシ監督(74)はそこにあえて挑むかのように、イエス・キリストの「弱さ」や、中国で抑圧されるチベット族の仏教を題材にしてきた。最新作『沈黙-サイレンス-』(Silence)は、これまでとどう違うのか。21日の公開を前に来日した監督に、記者会見で質問した。




©2016 FM Films, LLC. All Rights Reserved.


『沈黙-サイレンス-』は1966年発表の遠藤周作の小説『沈黙』が原作。イエズス会の高名な宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)が日本で捕らえられ棄教したとのうわさを聞き、弟子のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルぺ(アダム・ドライバー)はキチジロー(窪塚洋介)の手引きで、ポルトガルから植民地マカオ経由で江戸時代の長崎へ潜入する。隠れキリシタンのモキチ(塚本晋也)らへの壮絶な拷問を目の当たりにするうち裏切りに遭い、ロドリゴらも長崎奉行・井上筑後守(イッセー尾形)に捕らえられる。「おまえのせいでキリシタンは苦しむのだ」と棄教を迫られたロドリゴは、フェレイラと再会。そこで何を、どう選択するのか--。

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スコセッシ監督は昨年10月に来日し、まだ予告編も完成していない段階で記者会見した。さらに日本での公開を間近に控えた1月半ばに再来日、再び記者会見。監督の熱の入れようが感じられる。

マーティン・スコセッシ監督=仙波理撮影


今作は昨年11月、ローマでイエズス会の神父ら数百人を集めて世界プレミア上映。続いてバチカンでも上映された。ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が作品を見たかどうかは「定かではない。彼は忙しそうだったからね」とスコセッシ監督は記者会見で笑ったが、監督は上映に先立ち、若い頃に日本での布教活動を希望していたという法王に会い、舞台となった長崎などについて語り合ったという。


スコセッシ監督といえば、ロバート・デ・ニーロ(73)の出世作となったカンヌ国際映画祭パルムドールの『タクシー・ドライバー』(1976年)に『レイジング・ブル』(1980年)、レオナルド・ディカプリオ(42)を起用した『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002年)や、悲願のアカデミー監督賞に輝いた、香港映画『インファナル・アフェア』(2002年)のリメイク『ディパーテッド』(2006年)など裏社会を描いた作品で知られる。だがイタリア系の敬虔(けいけん)なカトリック一家に育った彼は、宗教も描いてきた。スコセッシ監督の人生で「宗教は大きな位置を占めてきた」ためだ。


そのひとつである『最後の誘惑』(1988年)はしかし、カトリック映画史に残る問題作となった。ウィレム・デフォー(61)演じるイエス・キリストに、結婚して子どもをもうける「ごく普通の人間としての誘惑」があったとする筋書きで、キリスト教右派を中心に世界各地で抗議運動が巻き起こり、パリでは上映館の放火事件まで起きた。今なお上映禁止を続ける国もあるほどだ。


米誌バラエティーの上級副社長でアワード担当エディターのティム・グレーに以前取材した際、『最後の誘惑』の話題になったことがある。「抗議の人々が配給のユニバーサル・スタジオの前でピケを張り、ユニバーサル映画のボイコット運動も起きて大変なことになった。以来、スタジオはこうした映画に神経をとがらせるようになった」と話していたのを思い出す。

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宗教にからむ映画としてはほかに、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の亡命までを描いた『クンドゥン』(1997年)も撮っている。チベットの動向に神経をとがらせる中国政府の怒りを買い、スコセッシ監督は少なくとも一定期間、中国に「出入り禁止」となったと伝えられる。米メディアによると、配給のブエナビスタ(現ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ)はその後、伸びる中国市場で苦戦を強いられたそうだ。中国の映画市場が北米に次ぐ規模に躍り出るとは当時のハリウッドのスタジオも予想しなかったということだろうが、スコセッシ監督はある意味、宗教を取り上げては物議を醸してきた。


『沈黙』については、カトリック系メディアをみてもおおむね好評を博している。

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私は記者会見で、スコセッシ監督に質問した。『最後の誘惑』も『沈黙』も、描いたのは「弱さ」。反応の違いはどこからくるのでしょう--。


スコセッシ監督は『最後の誘惑』公開当時を振り返りながら答えた。「『最後の誘惑』はキリスト教の理念やコンセプトをシリアスに探求する試みだったが、悪く受け取られ、いろんな議論が巻き起こった。私はどこへ向かえばいいか、自分の信仰心とともに見失ってしまった。何かが違う、と感じるようになった」。そんななか、小説『沈黙』に出あったのだという。スコセッシ監督は1988年、聖職者たちを集めて『最後の誘惑』を上映した。スコセッシ監督によると、来ていた米国聖公会の故ポール・ムーアJr.主教は「作品が議論の対象とするところを気に入ってくれた」という。そのとき、大司教が「信じることについて問う小説がある」と言って手渡してくれた本が『沈黙』だった。


スコセッシ監督はこれを読み、「教義的なアプローチではなく、信じることや懐疑の念を抱くことも包括的に描いた小説。映画化への意欲をかき立てられた。私は、もっと深く探求して答えを見つけなければならないと感じた」のだという。ちなみに渡された小説を読み終えたのは、スコセッシ監督がゴッホ役を演じた黒澤明監督『夢』(1990年)の撮影で日本に滞在していた時だったそうだ。

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ただ、当初は「どのように映画化すべきものか、原作をどのように解釈すべきかうまくつかめずにいた。自分の宗教観や疑念、日本文化への理解がまだ十分ではなかった。年を重ねるなかで、長い時間をかけて学んでいった」とスコセッシ監督は言う。


やっと脚本に取りかかれる段階になった、と思えるようになったのは『ギャング・オブ・ニューヨーク』を撮っていた2003年ごろだという。それまでは、「書けていなかったけれど、映画化権を失いたくなかったから、権利元には『大丈夫、大丈夫』と言っていた」とスコセッシ監督。あまりに長くかかったため、イタリアの配給会社からは訴訟を起こされてもいる。脚本の執筆をいよいよ終えたのは2006年。「その間、映画の修復活動などにもかかわったりして、私自身も成長した。若い時に撮っていたら全然違う作品になっていただろう。私はこの小説とともに成長したと思っている」とスコセッシ監督は語った。


スコセッシ監督は『沈黙』製作に無償で取り組んだ。登場したスター級の俳優も通常より低いギャラで出演に応じたという。

マーティン・スコセッシ監督=仙波理撮影

スコセッシ監督はローマの上映会で、アジア系のイエズス会神父にこう言われたという。「隠れキリシタンになされた拷問はそれは壮絶なものだったが、西洋の宣教師も一種の暴力を持ち込んだと言えるのではないか。『キリスト教こそが普遍的な真実である』として他国の文化を否定し布教すること自体、侵害であり暴力の一種ではないか」と。スコセッシ監督は言う。「映画でも、ロドリゴのそうした傲慢(ごうまん)さは崩されていく。彼は自分をいったん空っぽにし、自らを変えていった。そうしてロドリゴは真のキリシタンになった。日本の信者の方々は恐らく、そんな価値観にひかれるのではないか」


スコセッシ監督は記者会見の終盤、さらに語った。「この作品は弱さや懐疑心、そして否定ではなく受け入れることを描いている。弱きをはじかず、受け入れ、抱擁することをうたっている。そうした弱さを抱えている人たちに伝われば、と思っている。人はみながみな強くなければいけないわけではない。強さが文明を維持する唯一の手段ではないと思う。今の若い人たちは、勝者が勝ち取っていく世界しか見ていないが、それはとても危ないことだと思っている。世界はそういうものだと思ってしまう。よくないことだ」

©2016 FM Films, LLC. All Rights Reserved.

格差が広がり、不寛容に満ちていく足元の米国、そして世界への警鐘に聞こえた。






藤えりか(とう・えりか)

1970年生まれ。経済部や国際報道部などを経て2011~14年にロサンゼルス支局長、ラテンアメリカを含む大統領選から事件にIT、映画界まで取材。映画好きが高じて脚本を学んだことも。現在GLOBE記者。ツイッターは@erika_asahi


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