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シネマニア・リポート Cinemania Report [#27] 藤えりか

反プーチンのロシア人監督が危険を冒して迫った北朝鮮の実像~『太陽の下でー真実の北朝鮮ー』


北朝鮮でドキュメンタリーをいわば「撮り逃げ」する――。あの国のありようを考えれば、それがいかに大変なことか想像してあまりある。21日に公開のチェコ・ロシア・ドイツ・ラトビア・北朝鮮ドキュメンタリー『太陽の下で―真実の北朝鮮―』(原題:В лучах солнца/ 英題: Under the Sun)を撮ったロシア人監督ヴィタリー・マンスキー(53)に東京でインタビューし、プーチン体制への批判を背景にした渾身の撮影について聞いた。




© VERTOV SIA,VERTOV REAL CINEMA OOO,HYPERMARKET FILM s.r.o.ČESKÁ TELEVIZE,SAXONIA ENTERTAINMENT GMBH,MITTELDEUTSCHER RUNDFUNK 2015


『太陽の下で―真実の北朝鮮―』の舞台は平壌。8歳の少女ジンミを主人公に、繊維工場で働く技師の父、豆乳工場に勤める母との暮らしや、ジンミが朝鮮少年団の一員となって故・金日成国家主席の誕生日「太陽節」での公演準備に励むさま、学校で主体(チュチェ)思想の教えを受ける様子などを描いた。映画は同時に、登場する彼らが当局の監視役の事細かな指示でセリフや動きを何度もやり直させられたりする場面や、その時の彼らの不安と緊張感に満ちた表情をも映し出している。


マンスキー監督はモスクワのドキュメンタリー映画祭「Artdocfest」で会長を務め、ドキュメンタリーの賞も創設したロシア・ドキュメンタリー界の巨匠だ。とはいえ、検閲と表現の抑圧が極めて厳しいあの北朝鮮で、当局による市民への「演技」指導をどのようにして撮影できたのだろう。

監督のヴィタリー・マンスキー=仙波理撮影


マンスキー監督によると、北朝鮮側からは撮影前から「非常に厳しい条件を突きつけられた」という。シナリオは北朝鮮側が用意、撮影には常に監視役がつくといったもので、どこでいつどのくらい撮るかも指示された。「記録映像作家として長年仕事してきて初めてのこと。あまりの厳しさに、これは大変だ、と思った」。それでもマンスキー監督は内心、「行けばなんとかなるのではないかと期待していた」。まずは2013年にカメラなど機材を一切持たずに北朝鮮に入って下見。翌2014年、北朝鮮側の指示で、故・金正日総書記の誕生日がある2月に第1回の撮影が設定された。


撮影を始めると、日々の撮影を終えてホテルに戻るたび、映像を見せるよう当局に言われた。そうして「彼らが気に入らないものはすべて、その場で削除された。合意書にも書かれていなかったことで、現実は合意書に書かれた以上に厳しい、と感じた」。


このままでは現実を写し取るドキュメンタリーにならない――。困惑したマンスキー監督はホテルに戻るまでの車中、監視役がいないすきに撮影クルーたちで映像のコピーをつくり続けた。「どういった映像が消去されるかは最初の作業でわかったため、コピーの中から急いで、除去されそうなものを消していった」。そうしてオリジナル映像を手元に残し、おおむね半分ほどしか残らなかった「自己検閲版」をホテルで彼らに見せた。「彼らはそこからさらに映像を消去していった」。2度目の撮影は約2ヵ月後の4月、故・金日成国家主席の誕生日の時期に設定されたが、その間、「私たちがコピーをとっていることは知られずにすんだ」という。

© VERTOV SIA,VERTOV REAL CINEMA OOO,HYPERMARKET FILM s.r.o.ČESKÁ TELEVIZE,SAXONIA ENTERTAINMENT GMBH,MITTELDEUTSCHER RUNDFUNK 2015



撮影期間中は「3種類の監視があった」という。第1は撮影にずっと同行した4人で、合意書に基づき、撮影する対象や場所、状況などを設定した。彼らは撮影が一段落するたび、「上司とみられる人物に報告していた」。第2のグループは、撮影現場からは少し離れた場所から、取り巻くような形で監視していたという。「第3は大勢。私たちが地下鉄やバスが行き交う路上など屋外で撮影した時に、通行人の役割を果たしていた。私たちが近づいてはいけない場所らしいところに行くと、わーっと前をふさいできた」とマンスキー監督。のちに、彼らは何台かのバスで都度運ばれてきていたことを知った。


それでも、「今まで北朝鮮でドキュメンタリーを撮ったことのある人たちと後日話してわかったことだが、私たち撮影クルーへの北朝鮮政府の待遇は非常に重きをおいたものだった。監視も世話も非常に丁重だった」という。マンスキー監督いわく、「いまの北朝鮮の対ロシア観の反映だと思う。北朝鮮はロシアを自分たちと同等に見て、プーチンも金正恩・朝鮮労働党委員長と同じ立場にあると理解しているようだ。この関係を確保するためにも私たちを厚遇してくれたのだと思う」。

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主役の少女ジンミについては、監督自身で選ぶことができたという。5人の候補について約10分のオーディションが許され、「父親がジャーナリスト」というジンミに興味をもった。「ジャーナリストの家族なら、もしかしたらおもしろいところに一緒に行けるのでは」と思ったためだ。撮影を始めると、その父は「もはやジャーナリストではない」との説明で、いきなり「繊維工場の労働者」という設定になったそうだが。


ジンミは最後に涙を流す。この意味について尋ねると、マンスキー監督は言った。「体制に組み込まれて魂が死に絶えていく前の涙。そんな風に私はとらえた」

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合意書では同じ年の7~8月に約1ヵ月半、3度目の撮影をする予定だった。だが北朝鮮側が突如、「撮影は打ち切り」と通告。マンスキー監督は秘密裏にとっておいた消去前の映像をもとに作品を仕上げ、オランダ・アムステルダムの国際ドキュメンタリー映画祭などに出品した。


上映を知った北朝鮮外務省はロシア外務省に通達した。①あらゆる国・地域での上映禁止②映像の廃棄③監督への処罰、を求める内容だった。ロシア政府発行のロシア新聞はこの通達を掲載、作品を上映しないよう映画祭側に求めた。北朝鮮側は同時に、マンスキー監督を中傷する声明も出した。マンスキー監督はロシア政府に何度も書簡を出して上映許可を求めたが、結局、ロシアの国立や地方行政府立の映画館は公開を拒んだ。それでも、心ある民間の約20館が上映に踏み切ったというから、ロシア映画界にも気概ある人たちがいるということだろう。


このままではらちが明かないと思ったのだろう、北朝鮮側はその後、態度をコロリと変えて「ジンミちゃん一家が監督を懐かしがり、会いたいと言っている。監督をぜひ北朝鮮にまたご招待したい」という手紙をマンスキー監督に送ってきた。「非常に優しい内容の手紙だった。この年で強制労働させられる目に遭いたくはないので、行きませんでしたけどね」


そもそも、なぜ北朝鮮でドキュメンタリーを撮ろうと思ったのか。「ロシアは旧ソ連時代をはじめ独裁体制を経験してきた。その過去は北朝鮮と似ている。タイムマシンでスターリン下のソ連を訪ねるような形で、今も独裁体制を続ける国の人たちはどんなものなのか、撮影を通して理解したいと考えた」

© VERTOV SIA,VERTOV REAL CINEMA OOO,HYPERMARKET FILM s.r.o.ČESKÁ TELEVIZE,SAXONIA ENTERTAINMENT GMBH,MITTELDEUTSCHER RUNDFUNK 2015


同時に、今のロシアにとっては決して過去の問題ではない、ともマンスキー監督は感じている。「ロシア政府はすでに全体主義的で、表現の自由や市民の自由の制限がとても厳しくなっている。北朝鮮の体制に限りなく近づいていると考えている」とマンスキー監督。自身が会長を務めるドキュメンタリー映画祭は、「文化省のチェックを経ていない作品を上映している」として政府から批判を受けているという。


マンスキー監督はウクライナ西部リヴィウ出身のロシア人。モスクワなどで長く活動してきたが、いまは隣国ラトビアの首都リガに住んでいる。ロシア政府への批判と反発からだ。「ロシアによるクリミア半島併合など一連のウクライナ問題を許せず、ロシアでもウクライナでもない街に住もうと思った」

監督のヴィタリー・マンスキー=仙波理撮影


インタビューしたのは2016年12月、プーチン・ロシア大統領来日の直前だった。あさってプーチンが来ますね――。そう水を向けると、マンスキー監督は「もう日本にそのままいるといいよ」と吐き捨てるように言った。


いまも、身の危険を感じることはありますか? インタビューの終盤にそう聞くと、マンスキー監督は答えた。「そうしたことを考えないように努めている。私はごく普通の人間。自分を英雄にしたくはないんだ」







藤えりか(とう・えりか)

1970年生まれ。経済部や国際報道部などを経て2011~14年にロサンゼルス支局長、ラテンアメリカを含む大統領選から事件にIT、映画界まで取材。映画好きが高じて脚本を学んだことも。現在GLOBE記者。ツイッターは@erika_asahi


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