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映画クロスレビュー

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[第123回]『沈黙−サイレンス−』

棄教を迫られた宣教師の選択



(公式サイトはこちらからどうぞ)



みどころ

キリシタン弾圧が激しさを増す江戸初期、ポルトガルの宣教師ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライバー)がキチジロー(窪塚洋介)の案内で長崎に潜入。モキチ(塚本晋也)ら隠れ信徒が壮絶な拷問に遭うなか、裏切られてロドリゴらも長崎奉行(イッセー尾形)に捕らえられる。棄教を迫られるロドリゴは、師と仰いだ高名な宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)と再会する。遠藤周作の小説をマーティン・スコセッシ監督が映画化。(2016年、米、21日から全国順次公開)





Review01 樋口尚文 評価:★★★▲(満点は★4つ、▲は0.5)


デジタル的酷薄さと殺気


遠藤周作「沈黙」は1971年にも篠田正浩監督で映画化され、フィルム的な美しさをもって残酷な寓話(ぐうわ)のように描かれた。しかし、スコセッシの手になる「沈黙」は、何よりデジタル的な酷薄さと殺気によって占められている。キリスト教の布教のためにひそかに来日したふたりの司祭に、信仰を危険視する時の権力は棄教を迫る。そうしないと罪もない隠れキリシタンの農民たちを次々に処刑すると脅された司祭は、はたして転ぶ(=転宗する)のか否か。この一点に向けて、司祭たちの極限的な痛覚と逡巡が描かれる。


ガーフィールドとドライバーという二大若手スターがこの司祭の煩悶(はんもん)を熱演しているが、実は「沈黙」の設定にあっては、このあらかじめ強き信徒よりも、彼らから脱落する「弱き者」のキチジローと彼らを追い詰めんと「謀る者」の長崎奉行・井上筑後守が、魅力的な役どころである。今回はキチジローのみっともなく後悔の念を引きずるさまを窪塚洋介が力演し、元キリシタンから弾圧側にまわった井上筑後守の(いくぶん道化的な)倒錯ぶりをイッセー尾形が乗りに乗って演じている。

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