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映画クロスレビュー

[第18回] 『灼熱の魂』

母親をのみ込んだ「憎しみと暴力」の渦

[みどころ]

主人公の中東系カナダ人女性ナワル・マルワンは、世間に背を向けるように生き、実子である双子の姉弟ジャンヌとシモンにも心を開かずにいた。ナワルはなぞめいた遺言と2通の手紙を残して亡くなる。手紙は、姉弟が存在すら知らなかった自分たちの兄と父親にあてたものだった。遺言を手に母の祖国に向かった姉弟は、ナワルの数奇な人生をたどり、家族の秘密を解いていく。原作はレバノン出身でカナダ在住の劇作家の戯曲「Incendies(仏語で火事・炎の意味)」。1970年代半ばのレバノン内戦に着想を得た物語の舞台は、カナダと中東、現在と過去を行き来し、同じ土地の住人や親族に続く、憎しみと暴力の連鎖を断ち切ろうとした母親の思いにたどり着く。(全国公開中)

[Review 01] 金原由佳 評価:★★★★(満点は星四つ)

双子に遺(のこ)した母親の言葉におののいた。「棺には入れず、祈りもなく、裸で、世の中に背を向けるように埋葬し、私の名はどこにも記さないように」



自分のなきがらに課す、罰のような願い。残された双子の中東への旅は彼らのルーツを解き明かすサスペンスドラマとして提示される。しかし、単なる謎解きにはとどまらない。ドラマは、愛した人の子どもを産み、自分の手で育てるという母親の根源的な願いを無残に踏み潰す歴史のうねりを見せるから。母と父、母と子を分かつのは耐え難い宗教間のいさかいだ。難民キャンプへと向かうイスラム教徒の乗ったバスをキリスト教系武装勢力が一寸の憐れみもかけずに焼き払う場面がある。ためらいや戸惑いの表情が皆無で、機械的に人をあやめるその衝撃。神のしもべたちが何故ここまで異教徒には冷酷なのか。



原作を書いたワジディ・ムアワッドは1975年にレバノンの内戦から逃れ、フランス経由でカナダにたどり着いた。だが、映画はあえて国を特定しない。描くのは一人の母親の姿だけ。彼女は宗教紛争にひたすらあらがい、異教徒との子であるがゆえに手放さざるを得なかった息子の行方を追い続ける。その執念なら、中東の複雑な歴史にうとい一アジア人にも理解することができる。



フランス語圏ではここ数年、近代史に埋もれる集団虐殺を発掘する力作が次々と発表されている。フランス滞在中の流浪の民(ロマ)が収容所に連行された事実を描くトニー・ガトリフの『Korkoro』(日本未公開)。第2次大戦中にフランス警察が関与したユダヤ人一斉検挙を描いたジル・パケ=ブレネールの『サラの鍵』。そして本作もその一本だ。『サラの鍵』同様、過去の傷を自分の痛みとして現代人に共有させる手法が鮮やか。これは知るべき痛みである。




きんばら ゆか


1965年生まれ。


映画ジャーナリスト。


著書に、映画における少女性と暴力について考察した「ブロークン・ガール」(フィルムアート社)。


[Review 02] ロジャー・エバート  評価:★★★▲(▲は半分)

単なるスリラーではない。宗教の違いによる憎しみ合いが、いかに無意味でむなしいかということをうまく伝えている。たいていの人にとって、宗教は自ら選ぶというよりも、生まれつき決められているものだ。そこに誕生したということが憎しみの理由にはなりはしないのだと、この映画は教える。



思いも寄らぬことが起きる。殺人者に似つかわしくない者が神の名のもとに人を殺す。十分な数が殺されたころには、もう神は不要だ。個人的、もしくは同族の恨みが殺人の理由になっているのだから。



特に、いのちの重みもまだわからない子どもが、ライフルを持った子どもと撃ち合う場面。ヴィルヌーヴ監督は冷え冷えするほど、突き放して描いている。



詩的なモノローグによる戯曲から構想を得ているが、ヴィルヌーヴは心象風景を描くよりも、出来事をわかりやすくし、映画向きに構成し直している。




Roger Ebert


1942年生まれ。


67年からシカゴ・サンタイムズ紙の映画評論家。


75年にピュリツァー賞受賞。


全米向けの映画番組の司会や各種映画祭の審査員も務める。







(文中敬称略、作品の公開情報は掲載当時のものです)



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