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私の海外サバイバル

伸びしろの国 刺激の日々@ポルトープランス(ハイチ)

[第139回]橋本謙

ハイチ保健省技術アドバイザー

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にぎわうハイチの田舎町の路上市場=いずれも橋本謙さん提供

若いころ、学校の勉強に少し疑問を感じていました。勉強のための勉強というか、受験のための勉強が本当に人生のためになるのだろうかと。高校に行くよりも、大工や料理人をめざして働きたいとも考えていました。その方が多くのことを学べそうな気がして。頭より体で学ぶタイプなんでしょうね。


結局、好きなサッカーをしながら進路を考えるために地元の公立高校に入りましたが、どうも見通しが暗い感じでした。ちょうど、おじがイギリスに転勤することになり、「留学しないか」と誘ってくれました。親はいつもどおり「自分で決めたらいい」と温かく支え、当時の担任の先生は「行ってこい」と背中を押してくれました。こんな環境に恵まれ、イギリスで自分を試そうと決めました。


日本の高校を中退し、英国の高校に入り直しました。最初の2年間ほどは英語に苦労しましたが、だんだん分かるようになり、ロンドン大学に進んで心理学を専攻しました。何で心理学だったのか、今から考えると、やはり人、とくに心に興味があったんですね。


その後、イギリスの大学院を経て、2000年に日本の国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊としてグアテマラに赴任しました。以降、JICAとWHOの仕事で足かけ15年ほど、中米で感染症対策に携わりました。

ポルトープランスの旧市街

カリブ海の島国ハイチを初めて訪れたのは2015年、ハイチの保健事情に関するJICAの調査で、2回にわたりそれぞれ10日間ほど出張しました。ハイチでは黒人が大半で、言語がフランス語とクレオール語のせいか、活動してきた中南米とはかなり違う世界を感じました。翌年、JICAのハイチ保健省に派遣する専門家の募集があり、ちょうど新たな刺激や学び、挑戦の機会を探していたので、応募しました。


私の専門は「国際保健」という分野です。お医者さんのように一人ひとりの患者を看るのではなく、国々の保健システムや政策、保健医療サービスの運営管理などを見ます。ハイチでの仕事は主に二つで、一つは、ハイチ国民全員が保健医療サービスを受けられるように、必要な政策や構造を整える支援。もう一つは、南東県というところにある県病院の運営能力を高める支援です。この病院は、ハリケーンや地震でひどく傷んでいたので、日本とカナダの両政府が共同で建て直し、2016年に完成しました。

日本とカナダが建てた南東県のジャクメル病院を背に立つ橋本さん


Ken Hashimoto

橋本謙

はしもと・けん/1974年、三重県出身。2000年から15年間、国際協力機構(JICA)や国連で中米の感染症対策に従事。2016年9月からJICA専門家としてハイチへ赴任。



(次ページへ続く)

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