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中東で「寿司」を伝授 @アンマン

私の海外サバイバル 更新日: 公開日:
寿司子屋ですしづくりを学ぶ生徒たち

黒岩揺光 主夫

「寿司子屋」主宰

ON

《アンマン》 紀元前に栄えた古都だが、パレスチナ紛争で多くの難民を受け入れて急拡大し、近年は経済発展で近代的なビルも立ち並ぶ中東の代表的都市の一つとなった。人口は約250万人。

ジュネーブで国連機関に勤めていましたが、妻の赴任に伴って3月から中東ヨルダンの首都アンマンに移り住みました。国連は異動が多くて夫婦で同じ場所で働き続けるのは難しいので、給料が高い方が働いて、安い方がついて行くことにしています。ジュネーブでは妻が半年間主婦をし、その前に一緒に住んでいたアゼルバイジャンでは私が1年間主夫をしていました。

いまは主夫として料理をつくったり掃除をしたりしていますが、余った時間をつかって、米国留学中にマイアミのすし屋で1年間すしを握った経験を生かして、すし教室を始めました。これまでケニアにあるソマリア難民のキャンプで七輪工場の工場長をしたり、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)本部に勤めたりしてきましたが、寄付で成り立つ援助機関の活動に限界を感じており、自分でビジネスを立ち上げ、人を助けられるシステムをつくってみたいと思いました。

アンマンですしは高いですが、富裕層に人気です。「寿司(すし)子屋」と名付けてフェイスブックで宣伝したところ、たくさん応募をいただき、太巻きの作り方教室を3回開き、仕出しすし弁当の出前も4回しました。レッスン料は1人約4000円と安くはありませんが、参加した12人の半分はヨルダン人でした。

メニューはエビ天ぷらロールやスモークサーモンの太巻き、かにかまロールなどです。次に注文がくるかどうかドキドキでしたが、すぐに「家族4人で教室に参加したい」と連絡をいただき、いけるかな、と思っています。

やりがいをとても感じやすく、教室参加者から「ありがとう!」と家族に自分の作ったすしを振る舞っている写真が送られてきたり、「生魚は好きじゃないけど、生魚以外ですしをつくれることは知らなかった」と感想が届いたりします。

授業中、すしについていろいろと間違ったイメージがあることにも気づきました。日本人はすしを毎日食べているとか、板前の前でしょうがを食べてはいけないとか。手ですしを食べてはいけないとか、すしは必ず高いとか。回転ずしで2貫100円で食べられることは知られていません。

将来的には、助手を難民から雇うとか、職業訓練としてすし職人を育てるとか、日本人ならではの支援をしたいといった野望もあります。でも、まずはいまの取り組みを形にしてからですね。

OFF

よく体を動かしています。バスケットやテニスのほか、アンマンの日本人野球クラブで毎週練習しています。

満月の下、砂漠を走る「満月マラソン」にも参加しました。10キロコースを1時間13分で完走して、約110人中8位でした。村の明かりを頼りに走っていって迷ってしまったり、足を砂に取られたりと大変ですが、終わったら星の下、砂漠の上に寝る。面白いですよ。

ひどかった歯ぎしりが最近はなくなりました。妻は「国連にいるときより生き生きしている」と言ってくれます。これまでは自分の主義主張をしすぎて夫婦けんかが絶えませんでしたが、妻が妊娠し、生まれてくる子どもや妻にストレスを与えないよう心がけるようになりました。しっかり子どもとコミュニケーションが取れる父親になろうと、生まれてくる子どもに語りかける「主夫ブログ」も書いています。

(構成 GLOBE記者 村山祐介)

Kuroiwa Yoko

1981年、新潟県生まれ。米マイアミ大学国際関係学部卒業。オランダのユトレヒト大学大学院修了後、2006年に毎日新聞社に入社。10年からケニアのダダーブ難民キャンプで活動する米NGOで七輪工場の工場長を務め、14年からはジュネーブでUNHCRに勤務。16年、ヨルダン・アンマンですし教室・仕出し店の「寿司(すし)子屋」を開く。