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Breakthrough 突破する力 ギタリスト、アーティスト MIYAVIが信じるWow!から生まれる希望「なにもない、ゼロ。それが原動力」



東京のスタジオで練習中のMIYAVI。レンズを向けるたび、強い視線で応じた。
Photo:Toyama Toshiki

サッカーやめて心に開いた穴


MIYAVIには、音楽家としての自分を「ゼロからつくってきた」という意識がある。兵庫県内の町で育った子ども時代は、音楽とは無縁のサッカー少年だった。小学2年で会社員の父が仕事のかたわらコーチをつとめる地元チームに入り、のめりこむ。試合を組み立てるのが得意なキャプテン。めきめきと頭角を現し、「プロのサッカー選手になる」。当たり前に、そう思うようになった。


中学入学と同時に、Jリーグ「セレッソ大阪」のジュニアユースのテストに合格し、入団。ところが、片道1時間以上かかる練習場との往復に疲れ切り、ボールを追いかけるのが楽しくなくなっていく。学校の昼休みは眠るだけ。気づけば同級生の輪からも、サッカー仲間の輪からも外れていた。中学2年で右足の指を骨折した時、ほっとしている自分に気づいた。「付いていけなくなった」と退団。駅前にたむろし、仲間と悪さを繰り返す毎日を送るようになる。友達の家を泊まり歩き、1カ月以上家に帰らない。心に開いた穴を埋められず、落ちるところまで落ちていった。


ギターを手にしたのは、そんなころだ。不良仲間の「ノリ」で誰にも音楽経験がないのに「バンドでもやるか」。だが、初めて弦をはじいた時、MIYAVIには大きなスタジアムで弾く自分の姿が見えた。「この楽器が、再び自分を『ここじゃないどこか』に連れていってくれるんじゃないか」。進学した高校には半年もたたずに行かなくなったが、ギターからは離れなかった。


17歳の時、音楽を教えてくれていた2歳上の先輩が急死した。葬儀の後、急に「地元にいたくない」という思いが募った。財布とPHS、タバコだけを持って夜行バスに乗り、東京へ。バスに乗る前に電話した母の「気を付けて行きぃや」という声は忘れられない。サッカーをやめた時も、ぐれた時も、ただ黙っていてくれた母。「恵まれていたとも才能をもらったとも思わない。なにも与えてもらわなかったから、自分の足で道をつくることを学んだ」


すぐに資金が尽き、野宿もしたが、ライブハウスに入り浸るうち、あるビジュアル系バンドに入ることに。目を掛けられ、2004年には大手ユニバーサルミュージックからソロでメジャーデビューする。ど派手な化粧や衣装の「ビジュアル系新世代」として、熱狂的ファンがついた。社長の藤倉尚(50)は「当時から、視線の先に『世界のトップ』を見すえていた。その本気度は群を抜いていた」と振り返る。「自分の存在を世界に直接伝えようとデジタルやSNSでの発信にも、いち早く関心を持っていた」



(次ページへ続く)

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