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Breakthrough 突破する力 気仙沼ニッティング社長 御手洗瑞子が漁師のセーターをブランドに 「ブータンから気仙沼へ」

photo : Semba Satoru



「勝算」案ずるのは、やめた


「大きな地震があった」。東京の知人から、パソコンに短いメッセージをもらったのは、ブータン政府観光局のカフェテリアにいた時だった。2011年3月11日。世界に目を向けることが多かった御手洗だが、いま、大変な状況にあるのは日本だ。


任期の1年を終えて帰国。コンサルタントとして、ある自治体の復興にかかわった。その仕事が一段落したころ、ブータンでも会った糸井と話していて、唐突に言われた。「気仙沼で編み物の会社やりたいんだけどさ」


漁師の家族が無事を祈って編んできたフィッシャーマンズ・セーターは、アイルランドのアラン諸島が代名詞だが、気仙沼にもその伝統がある。編み物なら大きな投資をしなくても、比較的すぐに始められる。


とはいえ、御手洗には大きな決断だった。「震災で傷ついた人たちを巻き込み、失敗してまた傷つけるわけにはいかない」。だが、被災地でいやおうなく事業の立て直しを迫られている人を見て、勝算を案ずるのはやめた。知らない土地へ行き、地域の自立のために産業を育てるのは、これまでの仕事と大差はない。「ブータンの経験があったから心理的なハードルは低かった」


糸井は御手洗を「分からないことをそのままにせず、理解したいという気持ちがすごい」と評する。さらに「ぽん、と抜けてるところもあるので、周りの人を『こんな人だから』と大人にさせるんだな」とも。これも「強み」か。


気仙沼では水産加工品の会社を営む大家族のもと、長く下宿生活を送った。この家の斉藤和枝(56)にとって、御手洗はよき相談相手でもあった。震災で工場を失ったばかりで事業再建に奔走していた時のことだ。「思ったことをはっきり言うので付き合いやすい。現場で一つひとつをよく見て動く。大きな視点で物事を見る。この両方がある」という。「気仙沼だけでなく、たくさんの地方で問題を解決する種を、彼女は持っていると思う」


また新たな土地へ渡り、新しいことを始めるのか。そう尋ねると、御手洗はきっぱり答えた。「私が去ってもずっと栄えるようになるまで会社を育てなくてはいけない。会社にとって一番よい判断をするためには、個人の『この次』は考えるべきでない」


ただ、こうも付け加えた。 様々な事情で働きたくても働けない人たちがいる。「これは、被災地だけのものではない」


(文中敬称略)



(次ページへ続く)

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