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Breakthrough 突破する力 大リーグマーリンズ投手 田沢純一が日本飛び越え大リーグへ導いた「マイナス思考」

人生変えた「引退通告」

シーズンオフの10月末、川崎市にある古巣の施設を訪れて練習に励んだ田沢純一。
Photo: Toyama Toshiki

横浜商大高3年の時、最速は147キロ。なのに「プロ注目」ではなかった。「足は速くない、打てない。足を引っ張る方が多かった」。野球雑誌に名前が載っても「評価はCとかD」。同じ雑誌で、3年夏の神奈川県大会準決勝で敗れた横浜高の涌井秀章(現ロッテ)が「特A」だったのを、今でも覚えている。親に負担をかけないように卒業後は就職するつもりで、知人に聞いたシロアリ駆除の仕事に興味があった。


そんな中で、1社だけオファーをくれた。それが、社会人野球の名門、新日本石油ENEOS(現JX-ENEOS)だった。だが、入部後は伸び悩む。2年目の夏ごろ、監督の大久保秀昭(48)=現慶応大監督=から呼ばれ、もう1人の選手と並んで言われた。「野球で貢献できない者はチームに残れない」


「どうせクビなら、やりたいことをやって辞めよう」。短期間で成長が実感できるものをと、連日、ベンチプレスやスクワットなどで上半身、下半身を鍛えた。すると、調子が悪い選手に代わって投げた日本選手権の予選で球速150キロを初めて計測。新聞に「ドラフト注目選手」と掲載され、人生が動き出す。とはいえ、大久保は「そもそも引退通告ではなかった」と明かす。「もっと頑張れるんじゃないかという闘志のつけ方だった」


高校時代は与えられたメニューをこなすだけ。社会人になっても、何が足りないかを考える習慣は身についていなかった。そんな姿勢が変わった。大久保には、忘れられない光景がある。「練習の帰り道、サブグラウンドでベースの四隅に的をつくって、黙々と投球練習をしていた。ひとりで頑張り抜く力があった」


一皮むけた3年目は中継ぎ、抑えとして活躍した。秋のドラフトで指名される可能性もあったが、あえて残留。「自信がなかったし、評価されるのなら、来年も評価されるはずだと思った」。残ったことで日本代表に選ばれ、大リーグのスカウトの目にとまる。ある種の開き直りが、後に大リーグへの道を開く。先発に転向し「プロ注目」になった4年目。だが、まだ手応えはなかった。プロの2軍相手に投げた練習試合で、打ち込まれた記憶が脳裏をよぎった。「日本だと即戦力として期待される」



(次ページへ続く)

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