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Breakthrough 突破する力 株式会社「美ら地球」代表取締役 山田拓がつくる「クールな田舎」

憧れの米国に違和感

里山サイクリングでも通る田んぼを背に。水田の欧米の観光客らに人気だ。
Photo: Toyama Toshiki

一方で、憧れだった米国のライフスタイルや価値観に、違和感も覚えた。大量の食べ物廃棄、エアコンの利きすぎ――。


「30歳で人生をいったんリセットしよう」。後に妻となる慈芳(しほ)とは、かねてそう話していた。帰国後に転職したコンサル会社を29歳で退職。慈芳と結婚し、2人で世界旅行に出た。 南米やアフリカなど28カ国を訪れ、大自然や小さな村での生活を満喫した。計525日間の半分はテントで寝泊まりした。最も長く滞在した南アフリカでは、馬に乗って、車の入れない小さな集落をめぐる2泊3日のツアーに参加。観光地とは異なる、自然と共につつましく暮らす地元の人々に接することができた。この経験が、後に「飛驒里山サイクリング」につながった。


旅は、これまでの生活を見直すきっかけにもなった。ろうそく1本の明かりは、周りが暗ければとても明るかった。「モノを持つことに対する考えが、がらっと変わった」。旅を終えるまでに、慈芳とこれだけは決めた。「日本に帰ったら、田舎に住もう」


理想的な田舎を探すなか、旧古川町(現飛驒市)で観光協会長を務めた村坂有造(72)を、知人から紹介される。伝統的な暮らしが残る飛驒古川は、思い描いていた通りの田舎だった。だが、村坂は、「悪いことは言わないから」と移住を思いとどまるよう伝えた。冬の厳しさも知らなければ、慈芳が身重だというのに、生活基盤もない。無責任に「どうぞ」とは言えなかった。


それでも山田は、村坂を再三訪ねた。印刷会社を経営していた村坂に、外国人観光客向けのガイドブック発行の企画書を持参。「世界に通じる飛驒市に」と訴えた。日本の原風景ともいえる里山の暮らしが残るここは、世界各地で出会った旅人たちの好奇心を満たすと考えたのだ。


山男のような風貌で、理路整然とデータを示しながら、世界的な視野で語る山田に、村坂は「面白いな」とうなった。当時、村坂は飛驒市観光協会の会長を頼まれていた。山田がアドバイザーとして就くことを条件に、会長就任の要請を受けた。



(次ページへ続く)

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