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Breakthrough 突破する力 [No.183]栗林隆/Kuribayashi Takashi





「おまえは何者か」

photo: Semba Satoru

少年時代は故郷・長崎の野山を駆け回り、部活動の剣道に没頭した。父親は「虫の目」で見たような昆虫写真で知られる写真家の栗林慧(77)。「家にいる時はスタジオにこもりきり」の父から、集中力を受け継いだ。当時はアーティストになるとは考えていなかった。美大を志したのも「面白そう」というほどの動機だ。だが、姉の滝澤秋子(51)は幼い栗林に片鱗を見ていた。「他の子が何をしようが、先生が呼ぼうが、幼稚園の砂場でひたすら泥団子を作っている子でした」


大学でも剣道を続け、彫刻や建築など、専攻の日本画を超えて友人ができた。卒業後は海外へ。作品集を手に各国の美大を訪ね歩き、学生から情報を集めた。憧れの作家が教授陣にいて、学費が安かったドイツの大学に落ち着く。


ドイツでは「身につけた技術をはぎとる作業」の連続だった。多忙な教授陣と面会の約束を取り付けても、絵の講評はそこそこに「なぜ描くのか? 何を表現したいのか?」と迫られた。


境界を意識しだすのはこの頃だ。まだドイツ統一から日が浅く、あちこちに国境の名残があった。旧東独エリアに入ると、見えない境界があるかのように、突然、周囲の風景が変わる。「おまえは何者か」を問われ続け、日本のことを考えた。日本の国境は海だ。海は人間と自然を隔てるものでもある……。


ドイツ生活も12年となり、現地に根を張り始めた頃、若手芸術家を育てるトーキョーワンダーサイト館長の今村有策(57)が偶然、現地で作品を見て「やけに面白い」と2003年に東京での企画展に招く。展示室にペンギンが1頭。頭頂部はじょうごのように伸びて天井とつながり、天井裏には池が……。水陸の境界を自由に往来するペンギンの「頭の中をのぞく」作品は好評で会期延長された。それも帰国のきっかけの一つだ。「日本食が恋しい。人生の仲間を作りたい。動機はいろいろですが、ドイツで安定して、面白くなくなったのが大きいかな」。素描以外、荷物はほとんど捨てた。

神奈川・逗子のアトリエ。作業台の上にはウェットスーツ素材のアザラシが。栗林の作品には、水陸を自由に行き来する
photo: Semba Satoru

神奈川・逗子の知人の家を借り、国内外の展覧会に意欲的に出品した。サーフィン仲間で写真家の志津野雷(41)らと組み、自作の屋台を世界の境界に運び、交流を映像に収める「ヤタイトリップ」を始めた。「表現は伝えるためにあり、だれに、何を、どう伝えるかが大事だと教わった」と志津野は言う。


1作ごとにスケール感を増し、新たな表現法を打ち出すが、作品が評価されることと、作家が食べていけることは別。現代美術では画廊との連携も重要だが、栗林の大がかりな作品は個人の収集に向かず、長い外国生活で身につけた率直な物言いも日本の風土になじみにくいようだった。帰国当初から応援する今村は言う。「現代美術はその国の文化的背景を反映する。ドイツでは人々の思想信条と生き方は重なり、アーティストは政治信条も含めスタンスを明確にする。栗林の作品の強度はそこにある」


そんな状況だから、限られた予算の下で不可能に見えるイメージの具現化に挑むことになる。廃校の校長室を丸ごと凍らせる作品では、大型冷凍機の購入で当初予算が吹っ飛んだ。大学の後輩で時々制作を手伝う建築家の武藤崇生(45)は「予算に構わず最高の質を求めるから苛酷な現場が多い。いつも二度とやらないと思うのに、達成感が忘れられず、また参加してしまう」と苦笑する。




(次ページへ続く)

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