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Breakthrough 突破する力 吉武博文                                        目の前の結果だけでなく、日本サッカーの未来に視線を向ける

なでしこジャパンが世界一になった7月、日本サッカーは、もう一つ快挙をなしとげた。メキシコであった17歳以下(U17)のワールドカップ(W杯)で、若き日本代表が18年ぶりにベスト8に進出した。


吉武が育ててきた「94年組」(1994年以降の生まれ)は、アルゼンチンを倒して1次リーグをトップで通過。準々決勝ではブラジルをあと一歩まで追い詰め、2-3で惜しくも敗れた。パスの受け手が次から次へと湧き出てくるテンポの速いサッカーだった。


計5試合で、登録21選手のうちゴールキーパー1人を除く20人を先発させた。選手たちに経験を積ませることを狙った勇気ある采配といえる。


中学の数学教師をしていた異色の代表監督だ。日本代表チーム広報として歴代のA代表監督を見てきた加藤秀樹は吉武について、「選手の調子の変化や心理状態など細かいところまで見られる。ザッケローニによく似ている」と話す。


「あれほどチームに一体感をもたせられる監督はいない」という声も強い。実際、「94年組」の選手たちは、吉武の下でプレーすることが「楽しくてしかたない」と話していた。監督と選手の枠を超えた絆でつかんだベスト8だった。


ただ、目標にしていたのは決勝進出。技術と運動量でボールを動かし続けるスタイルに手応えを感じた一方、相手の弱点を突く駆け引きや精神的な自立、創造力はまだ足りない。

 

「ブラジルの選手は、試合を有利に進めるすべを知っていた。今回の経験が5年後、10年後に生きる」

 

教え子のダメ出し

子どものころからドリブル突破が好きなフォワードだった。面倒見のよさと人任せにできない性格のせいか、小学校から大学まで主将を任された。「関東や関西の大学でプレーするほどの実力はなかった」という。ただ、一流選手だけが優秀な監督になるわけではない。


自らが育てた選手を母校の大分上野丘高に送りたい――。そんな夢を胸に中学教師になり、サッカー指導を始めた。


初任地の離島から大分市内の中学に移って監督1年目で全国優勝し、吉武の名は全国に知れ渡った。この中学では、後にJリーグで活躍する永井秀樹や三浦淳宏も指導した。


1992年、プラハにある日本人学校に赴任する。といってもサッカーがらみではなく、教師としてかねてから希望していた海外勤務だった。

 

(次ページへ続く)

 

 

自己評価シート

 

 

 

 

 

 

どんな「力」が人生の壁を突破するうえで助けになっているのか。編集部が示した10種類の「力」を、自信がある順に並べてもらった。

 

吉武博文(よしたけ・ひろふみ)

1960年、大分県生まれ。大分上野丘高から大分大。85年、大分市立明野中サッカー部を全国大会優勝に導いた。2001年に日本サッカー協会最上級のS級ライセンスを取得。00年からは盲学校に勤務しながらクラブのコーチ。06年に教師を辞めてコーチ業に専念。09年にU15日本代表監督に就いた。現在は2年後のU17W杯をめざすU15日本代表監督を再び任されている。

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