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Break-through 突破する力 中島広行

妻が用意したユニクロのシャツに、問屋から仕事ついでに仕入れたスニーカー、近所で買ったトートバッグ。中島広行はいつも、こんな格好で打ち合わせに出かける。オシャレやぜいたくには興味がない。

神奈川県葉山町の海水浴場近くにある「げんべい商店」に婿入りして12年。140年前、足袋屋から出発した小さな日用品の店はいま、年商約2億5000万円、ロサンゼルスにも拠点がある人気のビーチサンダル専門店になった。

東ハト、そごう・西武、ビームス……。200以上の企業から、オリジナルビーサンの注文が舞い込む。ユーミンや奥田民生らミュージシャンのほか、横浜ベイスターズ、慶応高ラグビー部などスポーツ業界にもファンが多い。

サラリーマンの家庭で育った。小学校から始めたラグビーにのめり込み、関東学院大学へ。だが、トップレベルの選手との差は明らかだった。大学卒業後、いくつかの会社に勤めたが、組織の都合で営業するのがストレスで、すぐにやめてしまった。98年、バイト先で知り合ったげんべいの跡取り娘と結婚。仕事がなく、義父(67)に頼んでげんべいの社員にしてもらった。

初めて店を訪れたとき。衣類や雑貨と並んで、色とりどりのビーサンが積まれていた。鼻緒と台の色が10種類ずつ、サイズも12もあって1足997円。義父が約40年前に国内の工場に発注して売り始めた、こだわりの品だ。でも、このときは「すごい数だな」と思っただけだった。

店舗一つを任されたが、うまくいかない。売り上げも減り、「あの倅になってからだめだね」と言われて落ち込んだ。学生時代のラグビー仲間に何をしているか知られたくなくて、試合も見にいかなくなった。

転機は2001年に訪れた。地元の商工会が主催するパソコン教室に参加した。ちょうど、インターネットが普及した時期だ。検索すると、通販のサイトがけっこうある。ふと、義父のビーサンが頭に浮かんだ。地元のサーファーがわざわざ、店に買いに来るのも知っていた。

教室の先生が、「げ」をまるで囲ったロゴをつくってくれた。「売れない」という義父の反対を押し切り、ビーサンに印刷して売り出すと、口コミで人気に。あるラジオのディレクターから「リスナーのプレゼント用に」と頼まれて、オリジナルのビーサンづくりが始まった。放送作家の小山薫堂も、あちこちで紹介してくれるようになった。

04年、うわさを聞いたセレクトショップ「ビームス」のバイヤー、石橋一興(39)が連絡してきた。初めは断ったが、翌年も依頼してきた石橋の熱意に押され、引き受けた。黒地に、げんべいのロゴとビームスのブランド名を入れただけのシックなデザイン。以来、毎年1回のコラボレーションが続いている。

「つくりがしっかりしていて、味がある」。げんべいのビーサンを、石橋はそう評する。何より中島の職人気質が好きだ。淡々とした語り口と遊び心がいい。
「こんなものもできますよ」と人形やTシャツもつくってくるが、もうけようという欲は感じられない。
あるとき、「ほかのセレクトショップから引き合いがあった」と打ち明けられた。石橋は「違う切り口なら受けてもいいのでは」と答えたが、後日、中島から連絡が来た。「自分の気持ちで、やめました」。義理堅い。だから、信用できる。

(次ページへ続く)

自己評価シート

 

 

 

 

自分にどんな「力」が備わっているのか。
何が強みなのか。編集部が示した10の資質にランクをつけてもらったところ、三つを差し替え、二つに言葉を加えてきた。

 

 

 

 

 

中島 広行(なかじま・ひろゆき)

1972年、神奈川県生まれ。
小学6年生からラグビーを始め、推薦で関東学院大に。卒業後、建設会社に就職したがまもなく退職。98年、げんべい商店の娘と結婚。その後、社員になる。2001年、サイトを開設、ロゴを入れたビーサンを販売し人気に。09年、沖縄に出店。ロサンゼルスで通販を始め、今年は上海にも進出予定。小学生の息子がいる。

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