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Break-through 突破する力 野瀬敏行

窓ガラスが粉々になった。
高さ約3mの壁と有刺鉄線で囲った、アフガニスタンの首都カブールの事務所兼自宅。
約200m離れた副大統領経験者宅周辺で8人が死亡した自爆テロの爆風に、襲われた。昨年12月15日のことだ。

事務所の主、大日本土木の野瀬敏行は、隣国・タジキスタンの道路建設現場に出張中で、難を逃れた。
外務省は2007年以来、アフガンにいる日本人に国外退避勧告を出し続けている。
06年には70人いた民間企業やNGO(非政府組織)の関係者も09年秋には12人に。「日本企業で長期間駐在しているのは野瀬さんだけ」(援助関係者)という状況だ。

野瀬は「テロにあわない運がある」と笑う。しかし、無鉄砲に張り付いているわけではない。
「通常の会社には100に見えるリスクが30に見える状況を作り出せば、そこに商機が広がると思っている」

日本が援助しそうだが、まだ他社が進出していないような、紛争後の荒廃から復興しようとする地域や小国。いわゆる僻地で事業を見つけ出すことが、国内の公共事業が先細る中で生き残る道の一つになる。それが、アフガンにとどまる論理だ。事務所維持には年約3000万円かかる。1年あたり6億円を受注できれば採算がとれるという。

野瀬は、会社から独自の判断を任されている。「彼の現地情報が大きな判断材料になっている」と東京の本社で海外事業を仕切る取締役の西條勝彦は全幅の信頼を置く。リスクを減らしているのは、野瀬の情報収集力である。

アフガンに入ったのは02年4月。前任地の東ティモールやソマリアなど、まだ混乱している国で確かな判断力で仕事をしてきた野瀬に、西條が白羽の矢を立てた。野瀬は二つ返事で引き受けた。
3カ月後、会社は民事再生法が適用され経営破綻した。海外事業撤退も検討されたが、野瀬の提言もあり継続が決まった。

現地入り後3年は受注事業がなく、ひたすら調査を続けた。最初は、西部から南部のカンダハルを経由しカブールに続くアフガンの主要道路を調べた。地元のタクシー運転手に声をかけ、通訳と3人で8日間かけて走った。ビデオとカメラ、寝袋、衛星電話を持ち込み、この道路をどう整備するか考えた。人を見かければ車をとめて声をかけ、付近の様子を聞いた。飛び込みで民家に泊まり、もらったお湯で即席めんを食べた。
調査の結果は、A4判で100ページを超える報告書にまとめ、日本の大使館や国際協力機構(JICA)に提出。調査した道路の一部で工事を受注した。
どの工事の受注を狙うかは、治安状況をにらんで決める。「線」として延びる道路の建設現場は、治安が悪ければ反政府勢力に攻撃される危険が高まる。

そんな時は、現場に職員の宿泊施設を建てて移動のリスクを減らし、集中的に警備できる「点」の現場を選ぶ。06年に30億円で受注したカブール空港ターミナル建設では、警備員を10人雇い、火薬探知犬も買って四重の門を構え、テロに備えた。

「点」の現場では、スタッフは外出もできない。野瀬は、現場のプレハブ宿舎内の一室を「バー・カンダハル」と名付けてカラオケを持ち込み、自ら「店長」として、日本人や中国人、モンゴル人のスタッフをもてなした。
キュウリとタマネギの三杯酢、ポテトサラダなど料理は自分で作る。カブールの事務所では記者も歓待を受けた。

しかし、ただの「いい上司」ではない。現地職員との関係に話が及ぶと、柔和な顔つきが消え、こう言い切った。
「私は現地職員を信用しているが、信頼してはいない。安全と命は自己責任」。言ったことはきちんとやってくれるとは信じている。だが、頼り切ることは決してない。
野瀬の目は、命がけの現場で闘う、すきのない男のそれだった。

(次ページへ続く)

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野瀬敏行(のせ・としゆき)

1952年、福岡県生まれ。
県立福岡工業高を卒業後、大日本土木に入社。イラク、ソマリアや南太平洋のマーシャル諸島、ギニアなどに赴任。94年に同社のシンガポール営業所長。東ティモール営業所長を兼務後、02年からアフガニスタンで現地調査。05年に正式に設立されたカブール営業所の初代所長。

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