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華やかなステージは、歌手にとっては孤独な戦場でもある。
スポットライトにさらされ、期待に満ちた観客の視線を浴び続けながらの数時間。
喝采を笑顔で抱きしめ、ようやくストレスやプレッシャーから解き放たれる。
しかし今年2月、久々の帰国リサイタルで歌い終えた藤村の姿は、それとはまったく対照的だった。
聴衆に一度だけ深々とこうべを垂れると、毅然とした足取りで、袖へ。祈りを終えた修道女のような静謐さと、女王のような風格。独特のたたずまいは、いつしか拍手の色合いすら変えていた。
「私は歌の神様に仕えているだけ。称賛を受けるために歌ってるんじゃない」
メゾソプラノ歌手は、かつてカストラートと呼ばれる去勢歌手が演じていた男の役柄を担うことが多い。単なる美声以上にジェンダーを超えた存在感が求められるこの声域で、日本人で初めて本場の歌手たちと肩を並べた。
もともと、表現力だけでなく、歌劇場にも耐えうる十分な声量を備えた逸材として知られていた。東京芸大在学中から将来を嘱望され、大学院を終えると1992年にドイツに留学する。
「いくら日本で優秀でも、こちらではフジムラの名はまだ誰にも知られていない。
まずはオペラで名を出さないと」。知人のアドバイスで、オペラ劇場のオーディションを受け始めた。
だが、聖俗を突き抜けたところにあると思っていた芸術に、生々しい差別の現実が横たわっていた。
スポーツとは違って明確なものさしがなく、好みや主観で判断が左右される世界。初めて受けたオーディションでは「君の歌は素晴らしい。でも、私たちはドイツ人を採用する」と言われ、落とされた。
幼い頃から、歌っていればそれだけで幸せだった。異国の地の音楽を選んだがゆえに味わうことになった苦しみ――。劇場を往復する路面電車で、乗り合わせた人々がゴミのように自分を見つめている気すらして、心がすくんだ。
しかし、歩き始めた以上、憤っている暇はなかった。どんな小さな役でも人の10倍練習し、工夫を重ね、公演ごとに少しずつ成長していく。これしかない。
朝4時に起床し、夕方まで楽譜に向き合う習慣を自らに課した。自転車やジョギングで体力づくりを重ね、肉や酒はおろか、コーヒーなどのカフェイン類すら口にしない。家庭菜園でとった野菜や玄米で自炊。10年かけて20キロ以上、体重を絞り込んだ
(次ページへ続く)
自分にどんな「力」が備わっているのか。何が強みなのか。「集中力」「独創性」など編集部が提示した10種類の力に順番をつけてもらう予定だったが、藤村からの返事は「ジョギングをしながら私なりに一生懸命考えてみたのですが、自分にはこういう力がある、と言えるようなところは、私の中にはどう考えてもないような気がして……」。 野心うずまく音楽業界で、この「自らを消す」姿勢が逆にず抜けた存在感を示しているのは確かだ。 評価シートの代わりに「何か良い方向に作用した」と感じる自身の「傾向」について語ってもらったところ、次のようなコメントを返してきた。
東京芸大大学院修了後、ミュンヘン音大大学院に留学。マリア・カナルス・コンクールなど数々のコンクールを制覇し、オーストリア第2のオペラハウス、グラーツ歌劇場の専属歌手に就任する。モーツァルト、リヒャルト・シュトラウス、ワーグナーのオペラに定評があるが、シューベルトなどのドイツ歌曲も得意とする。ミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場など、世界各地の舞台に立ち続けている。