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酒への憧憬と反発。
レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説では、主人公はバーボンを傾けながら気持ちを静め、新たな発想を生み出す。「どうせなら、自分を変える酒に会ってみたい」と思っていた。
宮崎の山あいで飲んだ一杯は、櫻の郷酒造社長の寺田徳男(71)がひそかにつくってきた芋焼酎の原酒だった。その年に採れた芋でつくる「新酒」が良いとされた業界で、寺田はスコッチやバーボンなど世界の蒸留酒を研究し、「焼酎が苦境から脱する道は、少量生産の長期貯蔵しかない」と考え抜いて、中国から陶磁器の甕を仕入れては、原酒を貯蔵庫に寝かせた。メーンバンクには「1個4万円の甕を買い込むばかりで、収益はちっとも上がらない」とこき下ろされていた。
高い技術を持ちながら経営に苦しむ地方の小さな蔵元と、焼酎を「安酒」としか思わない大都市圏の消費者を結び、焼酎をスコッチやバーボンと並ぶ日本の蒸留酒にする。それなら、「義」のある戦いができるのではないか――。
中村は、寺田の一杯で頭の中の靄が晴れた。寺田も「この人なら理解してくれる」とすがるような思いを抱いた。
だが、会社では「うちは100億(円)からがビジネスだよ」と笑う人も多かった。従来の卸業者からの抵抗もあった。
03年、九州支社長として赴任した陶浪隆生(現JA三井リース社長)には、中村は「きまじめで、現状を打破しようと悶々としている青年」と映った。大手商社に勤めながら、消費者に近い小さな素材に目をつけるセンスに期待し、ブランド構築の仕方を教え込んだ。
やがて、細々とした蔵元が地道につくってきた酒が、斬新なデザインの瓶に入り、新しいラベルを付けて大都市圏、そして海外で驚くような価格で売れ始めるようになる。寺田の原酒に改良を加えた「阿吽の人」もその一つだった。「焼酎ブーム」に火が付いた。
だが、順風満帆の時期は長くは続かなかった。会社の組織体制が変わり、商品戦略などの権限は地方支社ではなく、本部で一括するようになった。石油や鉄鉱を動かす企業全体からみると、焼酎は、年10%の成長を遂げようが「弱小アイテムの一つ」にしか映らない。「こんなものにスティック(固執)してどうする」という冷めた空気を肌で感じていた。そんな時、東京への異動を打診された。
「執着してなにが悪い。中央の奴からみたらゴミでいい。革命は辺境から起こる」。転勤を拒否。退社し、独立した。
あれから3年。商売は成長したが、先は見えない。若者の酒離れが進み、焼酎の全国の出荷量は07年度、10年ぶりに減少に転じた。業界全体が次の一手を考えあぐねる。中村も模索を続ける。秋には佐賀の蔵元とともに麦焼酎と韓国の柚子茶をブレンドしたリキュールを日本で、次いで韓国で売り出す。
耳鳴りのように響く言葉がある。かつて上司らに言われた「100億からが三井の商売」という文句だ。
「商社マン時代のトラウマでは」と聞くと、中村は大きく頭を振り、「本流の矜持だ」と目をぎらつかせた。反骨も執着も、100億稼いでこそ認められる。売り上げの桁も上げられない奴の「義ある戦い」など、本物とは呼べない。
だからこそ、今日も明日も、嫌いで好きな、酒を飲む。
(文中敬称略)

「人が好き」「独自性」といったビジネスマンらしい資質のなかで、異彩を放つ「正義感」の3文字。商売を語る時の中村の口癖は「義のある戦いをしたい」だ。元上司は「商社マンとしては欠点と言えるほどだった」と回想する。
源流は、北海道大経済学部時代。内村鑑三の研究で知られる政治思想学者、松沢弘陽教授(現・東京女子大丸山真男文庫顧問)に出会い、日曜ごとに教授が主催する聖書研究会に通った。「だから、4年間スキーには行かずじまい。先生方に見放されたら、おしまいだと、今でも思っています」
休日、家にいる時は「トドのように転がっている」だけだが、仕事のことを考えだすと、たちまち「仕事オーラ」が花開く。サウナで汗を流していても、機上でまどろんでいても……。場所や時間は選ばない。名付けて「オーラ起動力」だそうだ。