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それから6年間、木山は旧ユーゴで約500人の現地スタッフを統括し、支援を続けた。破壊された村を訪ね、難民に必要な物資を判断し、安全なルートを見極めて搬送する。うまくいって引き揚げるときの「こんな私でも役に立てた!」という感動は、それまで味わったことのないものだった。
木山が、仕事で一度だけ泣いたことがある。クロアチアの国連保護地域内にあった難民向け老人ホーム。第2次世界大戦で夫と次男を、ボスニア紛争で長男と三男を亡くした女性に会った。
「いま、望むことは何ですか」と尋ねると、即答された。「一日も早く死ぬことです。私にはもう、何も残っていませんから」
あらゆる情報を集め、常に全体の状況を見て判断すること。援助のためには魚でなく、釣りざおを渡すべきだということ。そして、自分は国際協力の世界で生きていくのだという決意。旧ユーゴでの経験は、さまざまな教えと覚悟を与えてくれた。
木山が動かすJENの予算はいま、年間約6億円にのぼる。国連や外務省からの助成金、寄付や募金などが財源だ。これで、世界8カ国で展開する支援活動や現地・サポート事務所の運営、100人近いスタッフの給料などをまかなう。
経済評論家の勝間和代は、「プロ・木山」を高く評価する一人だ。印税の20%を難民・避難民の支援に寄付するチャリティー事業「Chabo(チャボ)!」のパートナーにJENを選び、木山と2回、支援先の南スーダンを訪れた。
「彼女は賄賂(わい・ろ)を渡したり、権力にこびたりしないで毅然(き・ぜん)と交渉する。軍や警察ともめた時も、粘り強く主張して言い分を通した。しかも、そのプロセスを楽しめるのがすごい。私なら、かーっとなってしまうけれど」
勝間は「国際協力を支援したいと思う人は増えている。実践に必要なのは、お金の使い道を決め、運営する仕組みだ」と話す。資金力とプロ意識のある木山の組織なら、その「仕組み」になれる。「日本でも、プロフェッショナルなNGO活動を浸透させるべき時期が来ている」と言う。
JENは04年10月の新潟県中越地震で、十日町市へ入った。日本では初めての支援現場だ。
地震発生時、木山はアフリカのエリトリアにいた。「日本ならお金も資源もある。私たちは必要ないだろう」と考えていた。
ところが、日本のスタッフから「調整役が欲しいそうです」と連絡が入った。「被災者のニーズと支援者の間で仕切る人がいないんだな」と直感し、エリトリアから指示を飛ばした。
避難所を回って被災者に何が必要かを聞き、送るべき物資を伝える。世界中でやってきたことだ。木山の
一声で、待機状態だったボランティアたちが被災者のために動き始めた。
地震の緊急支援のあと、雪下ろしを手伝ったのが縁で、6世帯が暮らす山深い十日町市池谷地区の過疎対策に協力している。コメのネット販売や山菜祭り、田植えなどの村おこしボランティアの派遣だ。
廃校を利用した活動センターは、外資系企業などが新人研修に活用することもある。農作業を通じて、ビジネスに有効な部署を超えた「チームビルディング」ができるのだという。
木山が目下、もがいているのは足元の組織改革だ。3年足らずでやめていくスタッフが多く、「世界を変えようと言っているのに、仲間の一人も止められないなんて」と落ち込んだのが出発点だった。
「やる気と達成感を高めよう」と合宿をし、活動理念を再確認した。採用条件も見直し、面接では「支援してあげる、という上から目線がない人」を選んでいる。
このグローバル時代、世界の一部が不幸だと、いつか必ず自分にもしっぺ返しが来る。「それに」と、木山は付け加えた。「『人の役にたちたい』という感情は、人間のDNAに組み込まれているはずだと思う」
もがきつつ前へ進む木山を支える、祈りにも近い信念である。
(文中敬称略)

木山にとって「集中力」とは「どんな状況でもあきらめない力」という意味らしい。
「つまり、サバイバル力ですよね」と書き換えて1位に置いた。
イラクでは、国連バグダッド本部事務所内で働く友達が、電話で話した5分後に爆弾テロで亡くなった。「時に危険を冒さなければ、援助の仕事はできない。いま生きているのは当然ではなく、すごい確率を通り抜けてきているのだと感じる」。
そのためには体力と運も必要だ。
「協調性」は「共感力」にした。「たとえば、難民の厳しい状況をどれだけ自分の痛みと思えるかで、支援が変わってくる」
「分析力・洞察力」は、「私の場合、まわりから『直感力』だと言われる」。
瞬間的に行うので「勘」だと思われるが、求められれば判断に至る過程をきちんと説明できるのだとか。
「決断力」は、現在の仕事で身についた。もともとは弱かったので、順位としては低くした。
意外だったのは一番下に置いた「行動力」。理由は「嫌いなことはできないから」。