片山(右)と、執行役の山野豊![]()
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大きな海を、小さな舟でこぎ続けている。英国、スイス、アラブ首長国連邦、中国、台湾、香港、タイ、シンガポール、ベトナム、ロシア、タヒチ。
片山りんご代表・片山寿伸は、10を超える国・地域に青森のりんごを輸出してきた。
片山が世界との接点を持ったのは、91年にさかのぼる。台風19号の被害で収量が半減した秋、弘前大の教授が「スペインの大学がりんご栽培の技術指導者を求めている」と農家に声をかけていた。片山は「ちょっと違った出稼ぎ」のつもりで、手を挙げた。
1年間、農園で働き、週末には青果卸会社を手伝った。南半球の国々から頻繁に輸入される果物を目の当たりにした。安いりんごが日本に入ってくる近未来を想像しておびえた。
実際に、片山が小舟の旅を始めたのは、「やけくそ」からだった。97年、りんごの国内価格が暴落し、生産原価の7割ほどに。りんご農家には危機的状況が襲う。
「日本で評価してくれないなら、外に売る」
だが、輸出の知識はほとんどなかった。地元の団体に片っ端から問い合わせた。
安全を証明する資料作りは商工会議所に教えてもらった。英文の文書チェックは弘前大の先生に、取引先の信用調査は青森銀行に頼んだ。貿易書類を作るため、日本貿易振興機構の初級講座を2日間受けた。無から足場を築いていった。
スペインで世話になった卸会社のつてで、「ふじ」など、1個400g以上ある贈答用で最高級の大玉を送ってみた。しかし、初の輸出が決まった英国で受け入れられたのは「王林」の小玉だった。1個200g以下で、日本では規格外とされ、ジュースの原料に回されてしまう種類だ。
農家の手取りは1kg5円。それが、75円になった。
英国では、外出時に丸かじりすることが多く、日本のように食卓を囲んで食べることは少ないという食習慣の違いに気づき、納得した。
手応えを感じた。
そこから始まった攻めの姿勢を、青森県の幹部は「先頭打者」にたとえ、農林水産省の輸出促進担当者は「フロンティア的存在」と高く評価する。
しかし、片山はぼくとつな口調で打ち明ける。「そうしなければ生きていけないんですよ」
(次ページへ続く)

自分にどんな「力」が備わっているのか。
何が強みなのか。
本人の「独断」により、
自信のあるものから順番に並べてもらった。
1960年、青森県生まれ。
東北大学文学部哲学科を中退後、父が経営する「片山りんご冷蔵庫」に入社。01年に「片山りんご有限会社」(現株式会社)を設立し、代表取締役に。02年から生産履歴を確認できるバーコードを付けたりんごを販売しているほか、りんごの搾りかすから化粧品の原料となるセラミドを取り出す研究にも参画している。