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4人兄弟の末っ子で、一番上とは6学年違い。サッカーにしても野球にしても相手は兄貴たちだった。競争の本能はそこで芽生えた。横浜マリノスのジュニアユース(中学生チーム)からユース(高校生)に昇格できないという挫折を経て、競争を常に意識するようになった。
レッジーナ入りしたころの話だ。 「ポジションを争ったライバルは地元出身の人気者だった。サポーターからもクラブの会長からも好かれていたから、ちょっとうまいぐらいじゃ彼に勝てない。
だから毎日、彼をねじ伏せるぐらいの気持ちで練習した。ウオーミングアップでも、遊びみたいな5人対5人の試合でも、ライバル意識むき出しだった」
セルティックに来てからはずっと右のミッドフィールダーでレギュラー。だがいつも安泰というわけではない。中村と同じポジションの選手は、
常に補強されている。
「だからいっぱい考える。ライバルにあって僕にないものは何だろうか、僕が試合に出るためには何をすればいいだろうか、と。そういう瞬間に、力がついている」 経験を積み、競争を勝ち抜く術も長けてきた。その過程が、技の枝葉を広げていく。
「監督が僕を外す要素を減らすことが大事。試合形式の練習があると、いつもの右サイドだけではなく、あえて中央にも移動してプレーする。こういうポジションもできるんだぞ、と印象づけておくため。その積み重ねで、交代じゃなくて別の使い方をしてみようという采配を監督がするようになる」
名門セルティックで地位が確立され、今や競うのは世界の最高峰でプレーする選手たち。欧州CL(チャンピオンズリーグ)を戦いながら技を盗む。
「自分よりうまい選手を見ると嫉妬しちゃう。とにかく自分が一番になりたい。
『あいつ、うまいな』って言われたい」
昨季の欧州CL決勝トーナメント1回戦でバルセロナと対戦した後、感想を聞くと、相手のミッドフィールダーの動きを熱心に説明した。
球を奪えると思って取りに行った場面。近くにいたそのミッドフィールダーがタイミングよく数メートル動いたために、パスをつながれて逆にピンチにされてしまったという。
中村にそう言われなければ、思い出せないプレーだった。中村が注目するのは華麗さではなく、ゲームの形勢を変えるディテールなのだ。
今夏で、セルティックとの契約が切れる。過去に20億円の移籍金を用意されても中村を手放さなかったセルティックは契約延長を望んでいる。欧州にはほかにも引き手がある。獲得の意思を公表した横浜マリノスなどJリーグでも複数のクラブが関心を示している。
中村本人は、日本への帰国を具体的に考えていることを隠さない。
なぜか。
「前はチームが勝っても自分がいいプレーをしていなければ喜べなかった。今はチームが勝つ方が大事」と話すのを、最近聞いた。「日本を勝たせたい。
そのために日本のサッカーをもっと知りたい」とも。
来年開かれるW杯南アフリカ大会の出場権をかけたアジア最終予選は6月で決着がつく。
日本はあと1勝で予選を突破。06年ドイツ大会に続く、中村にとって2度目となる舞台が見えてきている。
ドイツでは、自ら1得点したが2敗1分けで1次リーグ敗退。2度目の目標は、「チームの勝利」に絞られる。
「イタリアでね、僕の控えでサブになった選手が、試合前やハーフタイムにいつも『がんばれ』と言ってくれた。僕ががんばれば彼はもっと試合に出られなくなるのになんで?と思っていた。でも今の僕がサブになったら、彼みたいにすると思う」
勝ちたい競争が、変わってきた。「どうやったらW杯で日本が欧州勢に勝てるだろうか」。そればかりを考えている。

高校時代に書き始めた「サッカーノート」を今も続ける。目標を書き、結果について自問し、どうすれば課題を克服できるか自己分析する。
「ノートの前ではうそをつけない」。
読み返すのは、悔しかった経験が多い。
欧州でプレーするようになってから性格が変わったと言われる。「マリノス時代のチームメートは、明るくなったと驚く。以前は無口な方だったから」
と中村。
自分を表に出さなければ欧州では認めてもらえない。当時、イタリア語を学び、人付き合いに励んだのも、サッカーのためだった。
リストの中で、欧州へ来てから一番伸びた力はなにか、と聞くと「協調性」をあげた。
「昔の自分は、試合に出られずベンチに座っているときにライバルが活躍すると、悔しいと思ってしまった。02年W杯でトルシエ監督(当時)が僕を日本代表から外したのは、それを見抜いていたからだと思う。当時はわかっていても変われなかった」
その落選から7年。今、日本代表で若手から「師匠」と慕われる。教え上手だが、「教えられ上手」が必ずしもいいとは思っていない。「もっと自分の意見を言い合えるようになって欲しい。欧州勢に勝つにはそれも必要」