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サッカーをするならこの古き偉大なチームのために
サッカーを見るならこの古き偉大なチームを
そして、その歴史を知れば
もう夢中になるしかない
応援歌が響き渡る。スコットランド・グラスゴー。100年以上の歴史を持つ本拠「セルティックパーク」のスタンドは、いつも満員だ。地味でもチームに貢
献するプレーには6万人から大きな拍手がわく。簡単なミスや気を抜いたプレーには厳しい声が飛ぶ。「選手を育てるスタジアム」と中村俊輔は言う。
24日、セルティックで4年目、欧州で7年目のシーズンを終えた。
中村はいま、振り返る。
「20歳ぐらいのころは外国へ行くのが怖かった」
怖かったのは、自分のプレーが通用するか確信が持てなかったからだ。
Jリーグで評価され、日本代表で活躍し、日本でやり残したことがなくなって初めて、欧州挑戦の資格を得る。当時はそう思っていた。
しかし、W杯に出場する日本代表から外れた02年夏、イタリア・レッジーナへの移籍を決めた。それは「本能」だった。
「あのころ、(横浜)マリノスの練習でもJリーグの公式戦でも、やりたいことを楽にできた。このままじゃだめになる、と本能で感じた。ライバルと競争しないとうまくなれない」
中村をイタリアへ導いた国際サッカー連盟公認代理人のロベルト佃は、こう話す。
「私が育ったアルゼンチンには、勝った者が正しいという考え方があった。
私の息子は日本の学校に通っていて、みんな平等という環境で育っている。
どちらがいいかは別として、すごいサッカー選手が育つのはアルゼンチンの方。でも、俊輔はアルゼンチン人みたいに競争できる。負けるかもしれない怖さにひるまず、上を目指せる。だから欧州で成功できたんだと思う」
この言葉を中村に伝えると、「『競争』かあ」と言って、身震いした。
(次ページへ続く)

自分にどんな「力」が備わっているのか。
何が強みなのか。
本人の「独断」により、
自信のあるものから順番に並べてもらった。
1978年生まれ、横浜市出身。
97年、桐光学園からJリーグの横浜F・マリノスに入団。02年夏にイタリアのレッジーナへ。
05年夏にはセルティックへ移籍。1年目からレギュラーとしてスコットランド・プレミアリーグ優勝に貢献。06~07年シーズンには、同リーグの年間最優秀選手賞も獲得し、欧州CLでも自らの2得点などでベスト16にチームを導いた。07年の欧州最優秀選手候補にも入った。日本代表では84試合出場、23得点。