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Break-through 突破する力 小島景

88年、リクルート事件が発覚する。江副が不動産子会社の未公開株を政財官の関係者にばらまいた大スキャンダル。取材攻勢と顧客からの批判殺到に、社屋を出るとカモメの社員バッジをはずす社員が相次いだ。
経営企画室課長の自分も知らない事実が、次々と暴かれていく。打ちのめされながら、国会や捜査の対応に追われた。同時に「本業が間違っていたわけじゃない」との思いが募った。「こんなことで会社をつぶせない」。会社を辞める気は起きなかった。
江副が贈賄容疑で逮捕され、経営から退くことで、嵐は収まったかに見えた。だが、その間も江副がつくった不動産、金融の子会社2社の負債が膨れ上がり続けていた。

92年4月。柏木が負債を返す部署の責任者になったとき、借金は1兆円に迫り、金利負担だけで年間の営業利益が吹き飛ぶ事態に陥っていた。そして5月、江副が持ち株を譲渡し、突如、ダイエーが大株主となる。社内には反江副、反ダイエーの空気が充満した。急先鋒(きゅう・せん・ぽう)の部長グループに柏木も入り、リクルートの独立をどう守るか、毎晩議論した。

 

だが、負債整理の陣頭指揮をとるため、ダイエーから高木邦夫が常務として送り込まれると、柏木はそのまま「直属の部下」に。社員の視線は一様でなく「最大のストレスだった」。
「創業者に敬意を払うのとマネジメントは別だ」。高木からそう言い渡されたことが、柏木にとって「脱江副」の本格的なスタートになった。社内には「江副が勝手につくった借金を、なぜ自分たちが」との不満がくすぶっていたが、あえてそこに的を絞った。「やりたいことをやれるようになるために、やりたくないこともやる」と社内で言い続けた。

総額1兆4000億円を10年以上かけて返す作業が始まる。
当初は、不動産も財務も未経験の素人。高木は「減資を検討しろ」と指示したとき、柏木がすぐには「減資」の意味を理解できなかったのを覚えている。江副が「京都の優秀な学生を集めよう」と御池地区に造ったシンボリックなビルを売るときには、年長の担当者が「売ったら二度と買い戻せない」と猛反発した。
だが、「いい物件だからこそ売るんだ」と押し切った。経験していないからこそ、できることがある――。柏木がリクルートを選び、江副に学び、江副から離れる中で学んだ逆転の発想だ。
金利の減免なしで借金を返し続け、3分の1まで減った03年6月、45歳で社長になった。完済は06年度。この間、ダイエーから株も買い戻した。連結売上高1兆円が視野に入り、柏木は出遅れた国際事業の照準を、急成長する中国に合わせた。

一度も中国に行ったことがなく、中国語も全くできない森英文を、上海に派遣したのは05年4月だった。
森を抜擢(ばっ・てき)した基盤には柏木の「人材掌握力」がある。最初の職場が総務部人事課。人を知るのが仕事、と数百人を記憶した。基本は写真と名前に目を通し、飲みに行くこと。今では3000人分が頭の中にインプットされている。
森もその中にいた。広告関連の窓口が長く「課題があっても必ず何か成果を持ち帰る」社員だった。中国の複雑な法制度に適応したり、現地クライアントや顧客、そして従業員と濃密な関係を築いたりするのに、語学は二の次だ――。
市場調査から具体的なビジネスへと仕上げるまですべて任せた。森の意思の強さがバロメーターになる。複数の選択肢から最終的に「胡椒蓓蓓(フー・ジャオ・ベイ・ベイ)」創刊を決めるまで、柏木は森に何度も「本当に納得したか?」と問い続けた。

「胡椒蓓蓓」は今春、広州版、深セン(土へんに川)版を創刊し、ウェブサイトも始めた。いまや中国で数十万部が流通する。04年創刊の有料結婚情報誌「ゼクシィ」中国語版も各地に拡大中だ。関連企業も傘下に収めた。中国現地法人の陣容はいま300人。昨年、広州で会った森は、中国語のスピーチをこなしていた。
リクルートは、江副が起こした「大学新聞広告社」から数えて来年には創業50周年を迎える。世界不況で経営に逆風は吹くが、中国投資を緩めるつもりはない。
江副は「経営を離れた身」と、多くを語らない。だが、柏木を「見込んだとおりの器」とは思っている。
柏木は言う。「自分が江副浩正のようになれるかといえば難しい。だが今のリクルートに江副さんがいることは考えられない。次の50年に向け、自分たちだからできることをやっていく」
「50年史」の刊行計画はない。

自己評価シート

 

編集部が示した10項目から5項目を差し替えた。消えた一つが「運」。「30年足らずの会社人生で、山谷はあったが、多少無様(ぶ・ざま)でも、それを切り開いていくのが自分の力だと思う。運がいいのか悪いのか、わからない」

一番上位に持ってきたのは「体力」。数々の困難な折衝で交渉相手が「参った」というまで説得するためには、東大自転車部で培った「体力」が最大の武器だ。2番目の「持続力・忍耐力」の基盤でもある。

4番目の「課題設定力」は、ダイエー傘下時代に力を発揮した。対ダイエーの部長級グループを主導した張本人、藤原和博・大阪府教育委員会特別顧問(前東京都杉並区立和田中校長)は「あの経験がなければ柏木が社長になることはなかったと思う」。

「我慢傾聴力」も「ある」と自負する「力」の1つ。ただし、8番目と低いのは、毎年2回、執行役員以上の幹部から双方向評価を受けると、必ず「人の話をもっと聞いた方がいい」という指摘を受けるためだ。
リクルートは90年代まで、適材配置のため社員を16の性格に分類する手法を採用していた。社員で圧倒的に多いのは「ENTP」(挑戦型)だったが、柏木は入社時、少数派の「ESTJ」(管理型)。その後、「ENTJ」(指導者型)に変化した。「仕事を通じて人は変わる」

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