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白内障は、レンズの役割をしている水晶体が加齢とともに濁り、視力が落ちる病気である。
手術では、濁った水晶体を超音波で細かく砕きながら吸い出し、透明な人工レンズに置き換える。
ただ、濁った水晶体は固く、砕くのはけっこう難しい。慣れた眼科医でも20分ぐらいかかる。手術の時間が長くなるほど、手術後に感染症や乱視になるリスクが増す。
赤星は92年、超音波をかける前にピンセットのような器具で水晶体を分割しておく方法を思いついた。その後も改良を重ね、いまでは手術の傷口は2ミリにも満たず、時間もたったの3~4分しかかからない。
赤星は、手術に使う主な器具を自ら設計した。どんな医師でも自分と同じように手術ができるよう、細かい部分にまでこだわる。赤星をよく知る医師は「まるで熟練した技術者のようだ」と評す。
特許は申請していない。
「パテント料のせいで器具類が高額になったら、お金のない病院や医師が使いにくくなりますから」
赤星が眼科医にあこがれたのは、子供のころ。しょっちゅう結膜炎になり、目を赤くして近所の病院に駆け込むと、眼科の先生が、いつも手際よく治療してくれた。「大きくなったら目の見えない人たちを助けたいな」と思った。
ただ、夢を実現するまでの医師人生は順風満帆ではなかった。
赤星は、金持ちの家庭に育ったわけではない。父親はバスの運転手だった。自治医大に進んだのも、学費を貸してもらえるからだ。医者になって9年間、出身地の病院や保健所に勤めれば、学費を返さなくてもいい。
卒業後、神奈川県内の病院や診療所を転々とした。診察のない日は片道4~5時間かけて母校を訪れ、基礎研究に取り組んだ。
5年目、保健所に移るよう県側から命じられる。異動を受け入れれば、眼科はおろか臨床そのものができなくなる。かといって拒否すれば、1700万円近い学費を一括返還しなければならない。
悩んだ末、異動人事を拒んだ。
「学費は、銀行でローンを組んで返しました。自分の将来への投資だと考えたんです」
86年、東大の医局に入り、その後、東京女子医大の助手になった。将来は助教授、教授になる道も見えたが、90年、武蔵野赤十字病院に移った。やはり臨床へのこだわりを捨てられなかった。
「赤星式」は、臨床へのこだわりから生まれたといえる。
赤星が今、途上国も含めて世界を飛び回るのは、さまざまな事情で手術できずに失明する人がまだたくさんいるからだ。
貧困や紛争、医師不足……。「自分の手術法を広めて、白内障による失明を地球上から撲滅したい」
だから手術のノウハウは、惜しみなく伝授する。条件はただ一つ。「あなたの周りの医師にも必ず教えてあげてほしい」
「1人の名医が救える患者さんの数には限界がある。たくさんの患者さんを失明から救うには、多くの医師が名医のように手術できるようにならないといけない」
「赤星式」はすでに60カ国以上に広がりをみせている。
ところが――。
海外に比べ、国内では赤星の手術法の広がりが鈍い。公開手術や教育講演の機会はあまりなく、見学や研修にくる眼科医も少ない。
首都圏で開業する眼科医は、日本の医学界に根深い保守的な「しきたり」が背景の一つにあるとみる。
「大学病院や大病院ごとに治療法が決まっていて、先輩から後輩に受け継がれていくことが多い。赤星先生の手法がどんなに優れていても、取り入れるのは簡単ではない」
近畿地方の開業医は「慣れ親しんだ方法があるのに、苦労して一から学び始めるのは面倒。失敗も怖い」と打ち明ける。
赤星は数年前、白内障手術の世界的な権威であるカナダのハワード・ギンベルの病院に招かれて公開手術をした。
ギンベルは、白内障の標準的な手術法を考案した人物である。新たに開発された技術が優れていると思えば、たとえライバルの外国人医師であれ、ホームグラウンドに呼んで讃(たた)えてくれる懐の深さ。
あんな医師が日本でも増えてほしい。それが赤星の願いである。
子供のころ、考古学の専門家だった祖父が、発掘や野外調査の現場によく連れ出してくれた。「教科書がすべてではない」「自分の頭で考
えなさい」。祖父のそんな教えが「独創性・ひらめき」の原点だ。
一方、1日40人もの手術や、週7日労働が苦にならないのは、「持続力・忍耐力」のおかげという。
もともと、なんでも自分でやらないと気がすまない。たとえば海外での講演用ビデオは、どんなに疲れていても、数万の症例の中から厳選して自ら編集する。手術に使う器具を自分で設計できたのも、この性格のおかげだろう。
むろん、手先は器用。子供のころは、木ぎれで船や飛行機を手づくりしていた。「プラモデルを買ってもらえなかったので」。オーディオラックやタンスど、いまも自宅の家具は自分で設計する。
部下の一人は「赤星先生が怒って大きな声を出すのを見たことがない」という。たしかに、人当たりがやわらかく、他人の話によく耳を傾ける。「でも、自分が正しいと信じた道は突き進みますね」。そんな頑固さから、「協調性に欠ける」と自己評価した。